飛翔

日々の随想です

随想

女の戦い(紫式部VS倫子)は怖い!

九月九日は重陽(ちょうよう)の節句。 陽(奇数)が重なる日そして、奇数の中でも一番大きな数字9が重なることから「重陽」といわれ、 別名「重九(ちょうきゅう)」ともいわれ菊の花が咲く季節なので、「菊の節句」とも呼ばれる。 さて、この重陽の節句には…

味な話

「今日は美容院に行くからお昼ごはんどうする?」 夫に尋ねると、 「お弁当を作っておいてくれよ。久しぶりにお弁当食べたくなった」 と答えた。 自宅で開業するまでは毎日お弁当をもって出勤していた夫。 朝早く起きての弁当作りは主婦にとって時間と手ぎわ…

人生には思いもよらないことが突然おきたりする。 そんな時ほとんどの人が気が動転して自分をなくしがちだ。 そんな事件がわが家にも起きた。私は三人姉妹の末っ子。一番上の姉は一回り以上も離れている。 私が生まれたばかりの事だった。二番目の姉はまだ三…

父の蔵書印

父は苦学して一代で財を成し、功と名をなした。 英字新聞のトップに写真が載り、自慢を恥としていた母をしてその新聞を買い占める愚をおかさせた。 その苦学した時代を思うにつけ、我が子には学を身につけ自由闊達に生きて欲しいと望んだのだろう。 私が大学…

ひと夏の体験

愛知県地方夕方から突然の雷鳴とともに、空がにわかにかき曇り、大粒の雨が大地を叩きつけるように降ってきた。広島地方は大変な豪雨で地すべりや浸水で大変な被害が起きている。他の地域も被災されたところが多い。心からお見舞い申し上げたい。 この夏を振…

蝉しぐれ

朝、ガレージに向かおうとした夫の前を蝉が黒いかたまりのようになって飛んだ。夫がとっさに手でつかもうとした。 私はつかまえないで!」とさけんだ。短い命の蝉だもの。 夫は 「昔はこの蝉が欲しくてしょうがなかったんだよなぁ」 と遠い目をして言った。 …

人を思いやる心の表し方

いわゆる生老病死に関わる言葉はよほど気をつけないといけないように思う。知人や親戚の人がお亡くなりになったとき、ご家族の方にお悔やみの言葉は心からかけたつもりであった。しかし、自分の母が亡くなったとき、かけられたお悔やみの言葉はそらぞらしく…

ひっつき虫と戦争への警鐘

人間は知恵を結集して月まで行ってしまった。それどころか、最近では月よりも遠い小惑星に探査機を飛ばし回収する快挙までなしえた。すごいものである。 では人間以外の物、植物はどうだろうか? 植物だって相当の知恵者だ。 草花は手をかえ品を変え種(しゅ…

オクラの花

仕事場に認知症をわずらっている義父がなだれこんできたことがあった。 止めるひまもなくわめいて暴れる。みんな何事がおきたのか呆然とする。落ち着かせて話を聞くと石油缶が燃えると言う。 スタッフに職場をまかせて外に。 義父が元気なときにせっせと楽し…

人生の旅装をとく

最愛の家族の一員であった愛犬クッキーが亡くなって7年。 けなげに生きてきたその一生をたたえてやりたい。 テレビで終末医療に携わる人たちについてのドキュメンタリーを見たことがある。 ショッキングな映像だった。 それは、余命を知る身寄りのない人たち…

背中の秘密

貴方は男女を問わず人と出逢ったらどこを先ず見ますか? 顔、足、足首、お尻、胸・、唇・・? すれ違いざまに「あっ」と思わず振り返ってみた経験はないですか? それはあまりにも美しい人であったり、ほのかに香る香水の甘さに惹かれてだったり、初恋の人に…

鈍感力

誰にも触れられたくない事はあるものだ。 何気なく人が口に出すとき、私もなにげなさを装って笑ったりする。 しかし、それからそのことがヒタヒタとインベーダーのように心の中に侵食してきて私を悲しめる。 一年たったある日。またその人たちと合わなければ…

えくぼ

「許す」という言葉はとても使うのが難しい。 誰が誰を許すのか? 許す方は何だか高みにたっているようで、許される方はこうべを垂れているようだ。 いつもここまできて思考が行き止まりになる。 親しい人と口をきかなくなって久しい。 心の奥までなじられた…

慎ましきもの

慎ましいものは地味で控えめであるけれど、奥ゆかしい美がかくれているものだ。 母はそんな慎ましい人だった。いつも大島紬の着物を着ていた。地味な大島の美しさは子供の私には分からなかった。他のお母さんのように華やかな服を着て花のようでいてほしかっ…

父と娘

がんらい、なまけものの私は学生時代は勉強もせず、試験のときは山をかける専門だった。 勉強していないので山がはずれたら悲惨だ。 勉強は自分の部屋でしないで居間の炬燵でするのが常だった。 炬燵のここちよさは、私から勉強の意欲を奪うばかりか、眠りの…

pink slipって?

いろいろなものを片付けていたら、ピンクの封筒がでてきた。昔、塾で教師をしていたときの生徒からのものだった。 卒業するとき、いままでの授業の感想や私へのメッセージを生徒一人一人に書いてもらうことにしていた。 「先生の授業はとっても面白かったし…

決して失われないもの

小学校の高学年になった頃のことだった。 私は大怪我をおって家に帰ってきたことがあった。母はいきなり私を抱いて胸をはだけて乳をふくませた。 母の膝からはみ出るほど大きななりをして、私は泣きながら母のおっぱいを吸った。 大きな私になぜそんなことを…

一流の人に学ぶ

異文化交流とでも言おうか、いろいろな業種の人にお目にかかる機会に恵まれた月日だった。 女性誌の創刊号にあたって、世界各国の名士と言われる人を招聘し講演会が東京の帝国ホテルで開かれた。 その中のお一人がナンシー・キッシンジャーさんであった。ナ…

「花子とアン」と「君死にたまふこと勿れ」

朝の連続ドラマ「花子とアン」で、花子の兄、吉太郎が軍隊に志願しようとしたとき、蓮子が吉太郎に渡した本は明治37年9月、「明星」誌上に発表した「君死にたまふこと勿れ」である。 当時与謝野晶子は「君死にたもうことなかれ」と出征していく弟を詠った…

割烹着と糠(ぬか)どこ

子供の頃、私は「キュウリ夫人」というあだ名だった。名付け親は母である。母のぬか漬けのきゅうりが大好きで、これがないと不機嫌な子だったからだ。 台所の床板を二、三枚はずすと、大きなぬか漬けの甕(かめ)があった。きゅうりや茄子、蕪(かぶ)など季…

言葉遣いは心遣い

子供の頃、近所に「くず屋」と呼ばれる人がいた。いらなくなった新聞やぼろきれなどを集めることを生業(なりわい)にしている。 子供がたくさんいて、廃屋のようなところに身を寄せあうように住んでいた。 その人が時々、ボロ切れや、いらない新聞はないか…

アンパンとおじさん

一番厄介なことは自分との折り合いがつかなくなるときかもしれない。 どうしようもない自分との相克に苦しんだ時期は私にもあった。東京からひなびた土地に嫁いだ頃のことだ。苦しみは自分の弱さとの戦いである。 日の光を見るのが怖くなって、昼間でも雨戸…

形見の指輪

子供の頃、母の手のしわをこすったり、のばしたりしてみたことがあった。 病弱な母は、四十歳の時私を産んだ。 クラスのどの母親よりも老けていた母。 友達の若い華やかなお母さんが羨ましかった。 母は、 出しゃばったり、自慢げな態度を恥としてきた。慎ま…

母の無償の愛

子供のころから人間が好きで、興味があった。我が家を訪れるさまざまな人を観察するのが面白かった. 政財界の大物から、ジャーナリスト、罪を償ってでてきた人まで、さまざまな人が我が家に出入りした。 どんな人にも公平に優しく接する母を慕って来た人の中…

「「母の日」とぼた餅」

中学の同窓会があるという手紙がきた。 小学校のクラス会には一度だけ出席したことがある。逢う人逢う人、口をそろえて「お母さん、元気?」と聞いてきた。 クラスの友だちを家に呼ぶと母はいつもおいしい手作りのおやつをだしてくれた。 器も子供だからと言…

追憶のひとひらに花は咲けり

よその家に行ってお玄関に花が活けてあるとその家の女主人のたしなみを感じる。 我が家でも家のそこここに花を活ける。活けた花の辺りからあかりが射して、さわやかにしてくれ心地よい。 何もかもが枯れて花の一輪も咲かない真冬に、黄金色(こがねいろ)の…

「生きがい」

ある朝、自分のしていることのおかしさに、笑いがこみあげてきた。 それは新聞の求人広告の中から、自分にあいそうな求人を丹念に調べている自分に気がついた時だった。自分の能力を活用したいという無意識の欲求がそうさせていたのだと気がついた。 それと…

お墓参りとチョッキ

年の離れた従姉(いとこ)は美人で女優をしていた。売れない女優と云うのはいつも貧乏だ。小遣いがたりなくなると、父の会社に電話をかけてきて、お昼をご馳走になり、家に来て泊まって行った。 子供心にも美しくみえた従姉は憧れの的。彼女は、手ぶらではき…

連綿とつながる命

秒針がカチッと回ったとたん世の中が変わることはある。 あのベルリンの壁がなくなったとき、人類史上初めての発見をしたとき、命の誕生の瞬間など。 卵子と精子が結びつき、着床したとき、「生命」が宿る。 人間の場合、地球上の億単位の人間の中からたった…

シニアの卒業式

時は春。卒業式の時期となった。 塾を経営し、教師も兼ねていた頃は、この時期は「別れ」のときとなる。 今日は我が家で迎えた「大人の卒業式」のことを 思い出した。 その出来事を書いてみたい。 遠くに牛の鳴き声が聞こえる、ひなびた地域の、ある夜の出来…