飛翔

日々の随想です

形見の指輪

 
 
子供の頃、母の手のしわをこすったり、のばしたりしてみたことがあった。
病弱な母は、四十歳の時私を産んだ。
クラスのどの母親よりも老けていた母。
友達の若い華やかなお母さんが羨ましかった。
母は、 出しゃばったり、自慢げな態度を恥としてきた。慎ましく、しかし、凛とした人だった。

朝から晩までコマネズミのように良く家事をこなした母の手は「家事をする手」だった。
父が何かの業績で公に名をなしたことがあった。。
その記念にと母は翡翠の指輪を買った。ダイヤでなく翡翠(ひすい)にしたのは、その神秘的な瑠璃色(るりいろ)が指を美しくみせるからだった。

母が貴金属を買うことはまれだった。しかし、買うときは必ず記念になる理由をもっていた。
娘3人を持つ母は、それらの宝石をゆくゆくは娘等に譲るとき、両親の記念の思い出や、その宝石にまつわる思い出と共にあることを望んだ。
思い出を持つ宝石は、単なる宝石でなく、それ以上の付加価値を持つ物として娘等に代々伝わり、深い意味を持つ。

私にはその思い出の翡翠の指輪が母の遺品として譲られた。
翡翠の指輪をつけるたびに母は私に言ったものだった。
翡翠はね、つけたとたんにどんな手指をも美しくしてくれるのよ」と。
そして少し荒れた手につけた指輪をみせて「ほらね」と言ってほほえむのだった。
しとやかで慎ましい母にその神秘な深い色は似合っていた。 しかし、あの微笑みは指が美しくみえたことへの喜びばかりではなかったような気がする。
 父を陰ながらつつましく、ひたむきに支えた母があったからこそ、成し遂げた父の業績記念の指輪だったからではないだろうか?
 家事労働に評価などなく、子供たちや夫から感謝の言葉もない報われない日々。
 一人で大きくなったような態度で反抗ばかりする私に手こずった母。
 そっと母の形見の指輪を出して指につけてみた。深い瑠璃(るり)の色は遠い日のあの母のほほえみをおもいださせてくれた。
 宝石は思い出を持つとき、その美しさが冴え冴えと光彩を放つ。

文学を愛し、文藝春秋にも寄稿することが多かった父。
 形見の指輪は、エッセイコンクール授賞式にしていく好機にやっとめぐまれた。