異文化交流とでも言おうか、いろいろな業種の人にお目にかかる機会に恵まれた月日だった。
女性誌の創刊号にあたって、世界各国の名士と言われる人を招聘し講演会が東京の帝国ホテルで開かれた。
その中のお一人がナンシー・キッシンジャーさんであった。ナンシーさんはアメリカの元国務長官ヘンリー・キッシンジャー氏の奥様。 ナンシーさんはネルソン・ロックフェラーの秘書だったこともあり、激烈なビジネス社会にあって、女性としてもトップのキャリアを持っている。そこで思い切って質問してみた。
「女性が男性と伍して働くために、あるいは※ガラスの天井を突き破るための秘策はありますか」
と尋ねた。
すると意外な答えが返ってきた。
「私の体験から言うと、男性の数倍働いて実力と成果を見せることです」と。
日本の社会以上にアメリカ社会は女性にも厳しく、認められるまでには男性の数倍働くことというのは意外な答えだった。
※「ガラスの天井」とは、資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の企業内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁でのことである 。 当初は、女性のキャリアを阻む障壁のメタファーであったが、現在は男女を問わずマイノリティの地位向上を阻む壁としても用いられるようになっている。
異業種といえばフランス料理の重鎮、ポール・ボキューズ氏にもインタビューできた。
大胆にもまた質問してしまった。
「今までで一番美味しかった食べ物は何ですか?」
「それは家庭料理です。家庭料理を超えるものはありません」
だった。
予想していた答えと違っていたので、会場は大きくどよめいたのを覚えている。
また数年前、名古屋で翻訳家の柴田元幸氏をお招きしてお話を伺うことができた。
ワインをお飲みになって舌もなめらかになった柴田氏からはオフレコの話も山ほど聞けて最高の夜になった。
翻訳とは何かと言う質問に
「例えば一人しか乗れない踏み台の上に子どもが一人乗って、壁の向こうの景色を下にいる子どもたちに伝えること。それが翻訳に似ている。
踏み台の子どもが下にいる子どもたちに見た通りを伝えないで面白く自分の主観を入れて伝えるのは良い翻訳ではなく、それはだめである。
つまり翻訳者とは再生するだけである。自分の痕跡をのこしてはいけない。翻訳は原作とほぼ100パーセント同じと言うわけには行かない。つまり原作と全く同じにはいかないものである。
翻訳家は音楽で言い換えるとオーディオアンプのようなもので、いかに良い音かと思わせるのが翻訳家であるという。
無人島に持っていくとしたらどんな三冊を持っていくかと言う質問には「ドンキ・ホーテ」「聖書」(旧約)フランス語の「ボバリー夫人」だそうだ。
英語とは何か?という質問には:
・いまだに外国語であるという認識である
・英語を読めただけで嬉しい。
・マスターしたとは思っていない
今の若者に対する感じは?
物事の沈み方が浅くなっているように思う。十代のうちにいろいろなことをひとまず沈み込ませておくことだ。
体の中にしずみこませたものはいつか身になる。
そして直木賞作家佐藤愛子さんとは喫茶店でお茶しながらたくさんのお話を伺うことができた。
書くこつは何ですか?の問いには、
「あなたね、書いて書いて書きまくるのよ。そうしているうちに、何かがつかめるようになるから,亭主の愚痴でもなんでも書いて、書いて、書くの。そのうち、愚痴っている自分を別の自分が見ていることに気が付けばしめたもの。そこから文が書けるようになる。
でもね、要は資質の問題よ。
佐藤愛子さんは90歳。とてもそうはみえず、60歳ぐらいにしかみえなかった。しかも、大変美しい方で、華がある。凛として背筋が通った方。新作の長編にいどんでいらっしゃる。
お話がうかがえたことは私の生涯の宝となった。
こうして一流の人に直接お話を伺えたことは、百人の賢人にあうよりも得難いものをつかむものだと実感。
人生の荒波にも負けず、頑張ってきた人の言葉は重く、一朝一夕で勝ち得たものではないことを覚えておきたいものです。