飛翔

日々の随想です

短歌と「女性性」と人間尊重

富小路禎子(とみのこうじよしこ)の歌にはじめて出逢った時は少なからずショックを受けた事を覚えている。
その歌とは
処女(おとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす

与謝野晶子は女性の肉体を歌って賛否両論、多いに世を騒がせた。
やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君

春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳(ち)を手にさぐらせぬ
などがある。

 しかし、富小路の歌のように肉体の内部を歌うことはなかった。

禎子が先の歌を作った時は20代後半である。かの「枕草子」にも祖先の名が出る旧家の出。没落華族の子としてかつては旅館勤めまでした富小路の波乱万丈の一生。
短歌の世界ではそれまで自らの肉体のその内部を詠うことはなかったのである。
「短歌」昭和五十六年二月号に富小路禎子は「わが未明のしらべ」と題して文章を寄稿している。

女の生身を通して生を詠いたいとしきりに思った。生は性であってどうして短歌だけがここを避けて通ることができるだろうか」と。

当然この時代のこと。結社内は賛否両論激しかったようだ。今からはかんがえられないようなことである。
現代では性愛を大胆に詠った歌人林あまりがいる。しかし、富小路禎子の上記の歌とはかけ離れたものである。
考えてみれば、女性が自らの性を考えるときはいつのことだろうか。それを考えるとき、必ずや「卵」(らん)と結びつく。

[女の生身を通して生を詠いたいとしきりに思った]と富小路禎子が思うのは当然のことだろう。

・処女(おとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす

これを詠ったのが二十代最後の頃というところに何か感ずるものがある。当時は二十代後半といえば、もう結婚して子どもを数人持つものが多い時代である。未婚の二十代後半に詠ったことを考えるとこの歌がなおさら深いものに思えてならない。
さて昭和56年の『短歌』2月号で富小路禎は「女の生身を通して生を詠いたいとしきりに思った。

 生は性であってどうして短歌だけがここを避けて通ることができるだろうか」と高らかに言い、
・処女(おとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす
と詠ったのに対して現代では女性性、特に「月のもの」を詠った歌人がいる。それは松村由利子である。

松村由利子は『短歌研究』2008年3月号の中では「月と女」というテーマの30首を詠った。「月」を空の月と「女」が持つ「月のもの」とをからめて詠ったもので松村由利子の新境地のようなものを感じた。

 しかし、松村由利子が詠んだ女性の生理を「月のもの」ばかりに狭めて一首づつを詠むと見えなくなるけれど、全体の歌を総じて読むとこれは含蓄深いテーマ(フェミニズムに一脈通ずるものがある)となっていることに気付く。

 具体的に「月のもの」を持つ「女性性」の哀しみ、「女性」であるがゆえの哀感にも似たもの
・生理休暇一度も取らず終わりたる会社の日々の痛み思えり
 ・いつまでも乳房あること苦しかり地平に沈む日輪の紅

 
「日輪の紅」は経血を思わせ乳房と共に「女性性」の特徴を持つ女である自らを憂うようで哀感に富んでいる。その一方で「男かわゆし」などと仙女につぶやかせてみる歌もあり思わずにやりとする歌があって声高に言うことなくひそやかにフェミニズムを匂わせるあたりは機知に富んだ松村さんらしくあざやか。そして閉経を迎える心のうちも詠まれていて「女」の一生の節目に思いを馳せた。
・閉経は作用点すこし動くこと力まかせに押さぬ知恵もて

・閉経(メノポーズ) 河口へ向かうゆるやかな流れとなりてわれ蛇行せん

 松村由利子が「女」というもの、特にその「女性性」に焦点をしぼったことはやがてどの女性も迎えるメノポーズへと行く道程において「女」は好むと好まざるとに関わらず常に「月のもの」と対峙し意識下におくものであることを指し示しているようでそのフォーカスの照射があざやかだ。

 富小路禎子が昭和56年に「女の生身を通して生を詠いたいとしきりに思った。生は性であってどうして短歌だけがここを避けて通ることができるだろうか」の言葉は今や見事に変遷したのである。
 女の生身を通して生を詠うとき、生はまさに性であり原始的な力を帯びた人間の歌となる。

 メデイアでは、橋下氏の文言が取り沙汰されている。
 戦時中は「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」「海兵隊の性的エネルギーを解消するためにもっと風俗業を活用するよう進言した」など。

 「女性性」をモノのように捉え、人権などないような言葉が問題となっている。
 
  ・処女(おとめ)にて身に深く持つ浄き卵(らん)秋の日吾の心熱くす

  女の生身を通して生を詠うとき、生はまさに性であり原始的な力を帯びた人間の歌となる。この生命を生み出す「性」を道具としてはならじ!「女性性」をもつ「人間」であることを忘れてはならじ!!!