飛翔

日々の随想です

麦秋


 麦の取り入れの頃となった。
 初夏のこの時期を麦秋という。
 麦の秋。初夏なのに秋とはこれいかに?と思う人が多いと思う。私もその一人だ。
 〈あき〉という言葉には百穀成熟の意味がある。気象的にも空気が乾いて気持のよい陽気という意味で秋と共通性が多い。旧暦4月の旧称。

 3歳まで埼玉県の与野に住んでいた。まだ家の前には畑があり、広い野原があった。
 その畑に麦があって、目をつむるとその匂いの記憶がよみがえってくる。麦の穂を摘んで近所の子供たちは「ガム」だといってくちゃくちゃとかんだものだ。
 広い野原で、レンゲを摘んで花の冠を作ったり、よもぎを摘んで母が草餅(よもぎもち)を作ってくれたのが懐かしい。
 庭にイチゴを栽培していて、朝いちばんに摘んでくる。売っている苺と違って小さなものだ。泥がつかないように草と一緒に植える。真っ赤な小さな宝石が畑の中に顔をのぞかせているのを見つけるのは本当に嬉しく楽しく心が弾んだ。
 今贅沢に一年中出回っている大粒のイチゴは、甘く薄い味がする。かつて味わった庭のイチゴは小粒で、酸味が強く甘酸っぱかった。 
 一般的にトマトも、キュウリも野生の味がしない。甘く、薄く、温室の弱弱しい人工的な味がする。
 太陽の恵みを受けた野性的な大地の味とは遠い。人間も同じように蛍光灯の下で育てられたひ弱な子供が多い。
 外で遊んでいる子供を見なくなった。
 取っ組み合いのけんかをするよりも、陰で陰湿ないじめをする。メールをまわして言葉でいじめる。
 国民の安全よりも経済を優先する政府。これだけ原発事故を起こし、地球規模で汚染をばらまいているというのに、原発がまた再稼働して、増えてまた前と同じようになろうと政府は考えている。
 安全担保は再稼働した後だというのだから驚き憤る。
 
 国民一人一人節電に励み、パソコンの電源やコンセントはこまめに切りましょう。原発反対と言葉だけとなえていてもだめだ。
 国民一人一人が「ほら、原発が稼働しなくても大丈夫でしょ」と証明しなくては!
 東日本大震災福島第一原発事故を無駄にしないためにも、国民の意識をこれから大きく変えて、原点に戻ることだ。