飛翔

日々の随想です

秋は夕暮れ

秋は夕暮れ。夕日はなやかにさして山ぎはいと近くなりたるに、烏のねどころへ行くとて、三つ四つ二つなど、飛びゆくさへあはれなり。まして雁などのつらねたるが、いと小さくみゆる、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など。
とあるのは『枕草子』第一段である。
秋の日の夕暮れ時の風景が目にみえるようでまことに趣がある。
庭の片隅に咲くかたばみ草のピンクがそこだけ空気を柔らげて心にパステルを流す。
 欅(けやき)は雄雄しく北の一角に陣取って辺りを睥睨(へいげい)する。
あたかもこの家を守る父祖のように。
さやさやと梢をならす風の音が遠い日の思い出を甦らせる。
私の人生から庭の思い出は切り離せない。
 埼玉の郊外での庭。
草の中に実った真っ赤な苺。
よもぎを摘んで作る母の草もち。
 渋谷の家の庭。
 黄色やピンク、深紅の薔薇の香りに包まれた日々。
 イギリス、ウースターの庭に咲く忘れなぐさにふるさとの恋しい人を想った。
 カンタベリーの庭には野狐が夜毎あらわれ、闇に光る目が妖しく胸をとどろかせた。
 そして今の我が家の庭にも思い出が一杯。
 ここには大切な木が一本ある。
 それは木瓜(ぼけ)の木だ。
 花は白地にほのかな淡い赤がにじむように咲いて美しい。
 入院している母に庭の木瓜の花を一枝とって持っていった。
 花瓶にいけるとそこだけがあっというまにわが家の庭と化した。
 「家に帰ったような気がするわ」と母は喜んだ。
 髪をきちんと整えてほほえんでいた母は、病室にはふつりあいな程美しかった。
 「爪を切ってちょうだい」と母が言った。
 爪切りはどこを捜してもなかった。
 買いに行けば良かったのにそうしなかった。
 「今度ね」と私は愚かにも答えた。
 その「今度ね」はもう二度とこなかったのに・・・

 木瓜の花を見るたびにいつもにじんで見えなくなる

 庭に心をよせるとき、様々な想いが去来する。
 それは在りし日の思い出だったり・・
 来し方のあれやこれや・・

 庭に忍び寄るたそがれはさみしくて美しい
 それは沈み行くことへの惜別の情