飛翔

日々の随想です

人間っていいなぁ

 今年の三月。ちょうど東北地方大震災が起きた二日後に私と夫はイタリア旅行から戻ってきた。
 イタリア、サッカーの名門のTシャツを目の前にして
 「わ〜、どうしよう!」と感激して泣きそうになるぐらい喜んだのはブラジル人少年ラファエロである。四月には18歳の誕生日がくる。一足早い誕生日プレゼントである。
  このブラジル人一家に日本語を教えることになったのは、ひょんなことだった。去年花に水遣りをしていたとき、「こんにちは」と声をかけてきたのがブラジル人のママ、ローズと息子のラファエロだった。すぐ近所に新築したばかりの家に住んでいるという。ご近所のよしみで日本語を教えることになった。
 無料で教えるというと胸に十字をきってローズはこういった。
 「神様!ありがとう」と。
日本に知り合いがいるわけでもなく、家族五人は日本語ができない。そのため17歳の息子は学校にも行けず、仕事もない。そんな一家に日本人の知り合いができたのだからよほどうれしかったのだろう。ママのローズは英語が達者で頭脳が明晰、教養のありそうな人だったし、17歳の息子のラファエロはこれまた驚くべき頭脳の持ち主だった。19歳の娘ジェシカは美貌がきわだつが、恥ずかしがりやで無口。パパのセルジオはママよりも9歳年下の日系ブラジル人三世。二人は再婚。娘と息子はローズの連れ子である。
 最初は遠慮して恥ずかしがっていたが、一家は次第に打ち解けて一人一人悩みを打ち明けるまでになった。ジェシカは毎朝犬の散歩に家の前を通る日本人大学生に一目ぼれしたが、声をかけられない。私とローズは作戦を練って声をかける言葉まで考えて知恵を授けたが、家の中から見ているだけで満足だと恋は実らなかった。しかし、そんな恥ずかしがりやのジェシカが教会で知り合ったブラジル人青年と恋に落ち、先日婚約した。めでたいことだ。
 一方、ママのローズは思春期の息子ラファエロの心のうちが心配でならないようだった。
 日本語のレッスンの間、ラファエロにパパのセルジオについて尋ねると、彼はママの夫であり、僕のパパじゃない。パパはブラジルにいると答える。では、パパはどんな人かと率直に聞いてみた。するとぽつぽつと実の父について打ち明けてくれた。その父もブラジルで再婚して幸せな家庭を持っているとのこと。
 父と自分は逢える機会があれば、いつでも逢おうと話しているから大丈夫だと明るく答えてくれた。しかし、暴力が日常茶飯事のようなブラジルには決して帰りたくないという。日本が好きで日本の武士道にあこがれるという少年は、我が家でのレッスンの後、いろいろなことを英語とおぼつかない日本語で語ってくれるようになった。心を開いて素直に話す少年は現代の若者にあるようなドライな面は少しもなく、一昔前の純な少年の面影がみえる。
 頭脳明晰な彼が学校へ行けないことは残念なことだ。早く日本語を学んで仕事に就き、給料をため、学校へ行くのが夢だと語る少年を心から応援したくなる。学ぶ喜びに輝く彼の顔を見ていると、この出会いの妙をしみじみ感じる。
  国境は違っても、この一家と心が通い合うものとなった昨今、うれしいことにジェシカは私に自分の婚約者を真っ先に紹介したいと言い出した。おまけに結婚式にはどうしても出席してくれという。
 人と人との出会いはほんの小さなきっかけではじまる。誠実な心はお互いを強く結びつける。うそや疑いや、かけひきがあっては、決して友情は生まれない。
 胸に十字を切って「神がろこを私たちに使わしてくれた。神のお恵みだ」と深々と頭(こうべ)をたれる一家との出会いを裏切ることはできない。
 先日の海外旅行のときも、素朴なイタリア人にどれだけ親切にされたかしれない。それは道を聞いたときだった。足が不自由な老人は英語ができない。しかし、行き先は聞きとれたらしく、不自由な足で私の手をとって目的地まで案内してくれた。涙が出るほどありがたかった。バスの中で降りる停留所を聞いた五十代ぐらいの女性は「そこについたら私が教えるから安心して乗っていなさい」といって教えてくれた。バスから降りて歩き出すとバスの中から立ち上がって女性が手を振っているのが見えた。異郷にあると、言葉も地理も不案内だ。親切に教えてくる人に出会うとしみじみと国境を越えて人情のありがたさが身にしみる。
 素朴に生きている地元の人の人情に触れて「人間っていいなあ」とつくづく思った。普段の生活で「人間っていいなあ」と思うことなどめったにない。
 人は優しくされたら誰かにもまた、優しくしたくなるものだ。優しさというのはそうしてどんどん広がっていく。
 縁は異なもの味なもの。
 ひょんなきっかけで知り合ったブラジル人一家と、旅で出会った素朴な人たちとのふれあいの中で「人間っていいなあ」と思えた幸せを味わっている。