飛翔

日々の随想です

「花子とアン」と「君死にたまふこと勿れ」


朝の連続ドラマ「花子とアン」で、花子の兄、吉太郎が軍隊に志願しようとしたとき、蓮子が吉太郎に渡した本は明治37年9月、「明星」誌上に発表した「君死にたまふこと勿れ」である。


 当時与謝野晶子は「君死にたもうことなかれ」と出征していく弟を詠った。
 シェイクスピアの時代も「君死にたもうことなかれ」と嘆いたシーンがある。
 与謝野晶子シェイクスピアの一節を比較してみたい。
シェイクスピアの「コリオレイラス」に見る出征中の将軍についての妻と姑の会話である
「功名心と愛国心とに燃え立つ「しっかり者」である母ヴォラムニアは息子コリオレイラスの武勲を思って心を躍らせているが、しとやかで控えめな妻ヴァージリアは、ひたすら夫の安否を気遣う。

Volumninia: I tell thee, daughter,I sprang not more in joy at first hearing he was a man-child than now in first seeing he had proved himself a man.
Virgilia: But had he died in the business, madam; how then?
 母ヴォラムニア:ね、まったく、あれが男の子だとはじめて聞いたときも飛び立つほど喜びはしたが、あっぱれな男子になってくれたことを今見ての喜びには比べものになりませんよ。
妻ヴァージリア:でも、お母様、今度のことで亡くなってしまったら、その時は?)

「この妻は剛直で殺伐な軍人と、そういう子を持つことを大きな誇りとしている母と、無知な群衆との間にあってただ一人、人間らしい心を持っている気高い女である彼女にとっては戦場は決して功名の市場として歓迎すべき所ではない。それはやむを得ない“business”である。そこには安価なRomanticismが少しもない。」と齋藤先生の解説がある。
与謝野晶子の『君死にたまふこと勿れ』を今一度読んでみよう。
格調高く、せつせつとした心情があふれ胸を打つ名文である。

君死にたまふこと勿れ
(旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて)
                      与謝野晶子

あゝをとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば
親の情けはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事か
君知るべきやあきびとの
家のおきてに無かりけり

君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみづからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこゝろの深ければ
もとよりいかでか思されむ

あゝをとうとよ戦ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは
なげきの中にいたましく
わが子を召され家を守り
安しと聞ける大御代も
母のしら髪はまさりけり

暖簾のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻を
君忘るるや思へるや
十月も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき
君死にたまふことなかれ

これは当時、反戦歌だと糾弾するものがいたけれど、与謝野晶子自身はそんな国家にそむくきなどさらさらなく、弟を思う気持ちをここのままに歌ったのである。
 安倍内閣では何やらきな臭い方向へ国民を向かわせつつある。
 ひとたび戦争が起きてしまうともうとめられない。同じ轍(てつ)を踏まないよう、「ノー」と言うべきなのである。
 それはシェイクスピアの時代も、与謝野晶子の時代も、そして現代でも同じではなかろうか!

 親は刃(やいば)をにぎらせて
 人を殺せとおしえしや、
 人を殺して死ねよとて
 二十四までをそだてしや。

 君死にたもうことなかれ。