飛翔

日々の随想です

母の無償の愛


子供のころから人間が好きで、興味があった。我が家を訪れるさまざまな人を観察するのが面白かった.
 政財界の大物から、ジャーナリスト、罪を償ってでてきた人まで、さまざまな人が我が家に出入りした。
 どんな人にも公平に優しく接する母を慕って来た人の中には、上述した罪を償って出所してきた人がいた。
 彼は母が新婚の所帯を持った家の隣に住んでいた人だった。まだ彼が少年の頃、新婚の所帯をもった母と父が彼の隣に引っ越してきたのだった。彼はとても頭の良い正義感の強い少年だったそうだ。彼の上には年の離れた姉が一人いた。
 両親が突然亡くなり、姉と少年だけの生活が続いた。姉一人の稼ぎでは到底やっていけない家庭である。姉は銀座にある宝石店の社長のおめかけさんになり、生活の面倒をみてもらうようになった。その社長は酒を飲むと荒れる酒乱だった。
 少年は、家にやってきては酒を飲み暴れる社長を憎んだ。ある日、社長がいつものように酒を飲んで暴れ、姉を半死半生の目に合わせる場に居合わせた少年は姉をかばってそばにあった包丁で刺してしまった。
 正当防衛か、過剰防衛か。裁判の推移は私にはわからない。
 ところで、彼のことをもう少し詳しく話さねばならない。彼は日本脳炎にかかり、後遺症として言葉が不自由になり、半身にまひが残ってしまった。頭脳明晰だった少年から言葉の機能を奪い、身体に麻痺を与えたことは将来の生活のめどがつかないものとなった。そんな不自由な体の青年がたった一人の姉に半死半生の目に合わせる男を許せるはずがない。
 情状酌量の余地はあった。しかし、犯罪者として刑に服したのだった。
 そんな少年時代から知っている隣の住人の母は、身寄りのいない彼を陰になり日向になり応援し、援助してきたのだった。しかし、それは父にも誰にも言わない事柄だった。刑を終えて出てきた彼は、母を自分の母のように慕って訪ねてくるようになった。
 彼がやってくると母は玄関先で応対し決して家にあがらせることはなかった。子供三人いる母はけじめをつけたのだった。
 玄関でおぼつかない言葉で母に懸命に話す彼は、子供だった私には異様な雰囲気にみえた。脳の障害のため、よだれは絶えず流れ、言葉が不自由な彼の発する言葉は分かりずらかった。しかし、母だけには通じるようだった。あいずちをうち、言葉を補って会話する母はどこまでも優しかった。時には通じず、筆談になることもあった。
 母にとってはたまたま隣に住んでいただけという間柄だったのに、拘置所の中にも差し入れをし、刑期を終えても面倒を見たのだからその優しさは、はかりしれない。
 いつも慎ましく、父をたて、子供のために身を粉にして働いてきた母。
 自分のことは二の次、三の次にし、人の言葉に耳傾け、ひたすら大きな愛で包んできた母であったが、その反対に母の心の内を読み取ろうとしたり、耳傾けるものはいなかった。私も含めて三人の娘たちは当たり前のように過ごして母に感謝の言葉をかけなかったし、父も「ありがとう」のひとこともなく過ぎていった。
 鉄火肌のおばさんの半生を書こうと思うと面白い物語ができそうだし、我が家に出入りした政財界の大物たちの裏話を書いてもきっと面白いものができそうだ。
 しかし、人のため、夫のため、子供のために真心を尽くしてきた母の日々こそが、魂を揺さぶるものであったと今頃になって私は気づくのである。
 
今、老人施設で傾聴やカウンセリングの仕事をしているが、母の無私の精神、無償の愛が私の心にも宿っているとしたら、それは母から与えられた愛の伝承かもしれない。