飛翔

日々の随想です

草むらのボール


年をとってから私を産んだ母は子育て上手。
 夫を育てるのも上手だった。
 一歩ひかえて子どもや夫の話をじっくり聞く。
 子ども心にも、母がじっと耳をすませて自分の話を聞こうとする態度はここちよく、おやつを食べながら一日の出来事をみんな話すのが日課となった。

 父の場合は朝、食堂で新聞を読む。その傍(かたわ)らで母が朝食の準備をする。
 母は父に起き抜けの爽やかなお茶をだす。それを合図のように父は新聞を置き、こうばしいほうじ茶で喉を潤しながら、ぽつりぽつりと昨今の出来事や時事問題などを話す。母は朝食の準備をしながら、「そうですわね」とか、「まあ!、そんなことがございましたの?」などと合いの手を入れる。日ごろ忙しい上、無口な父が、この時間だけは、母を相手にのんびりとリラックスした様子は、なんともなごやかで、子どもの私でも間に入ってはいけないような風情があった。

 九時過ぎに運転手が迎えにくるのだから、朝はたっぷりと時間があり、のんびりとしたものだった。
 夏になると新婚時代から続いている朝顔を二人で種から育て、早朝花が咲く様子を二人で見ながら、喜んでいる姿は親であるけれど、なかなか素敵な夫婦だなあなどと思ったものだ。

 そんな母に育てられたので、私は話のキャッチボールを楽しみにするようになった。食事のときは会話もおかずの一つであった。父は文学好きだったので「言葉遊び」が好きで何かを文字って話を盛り上げると喜んだ。家族全員良くしゃべり、良く食べ、良く笑う家族だった。日曜日の夕食は2時間以上かかることはざらだった。
 どこの家庭もそんな風だと思ったら、結婚してみてびっくり。
 食事時にテレビががんがんかかってテレビを見ながらの食事。
 駄洒落をとばしてみたら、シーンと静まり返ってしまってばつが悪かった。

 こんなこともあった。
 一番上の姉がお見合い相手をわが家に招待して食事をすることになった。
 一回り以上年がはなれている妹の私と二番目の姉はお箸がころがってもおかしいお年頃。いつものように二番目の姉とじゃれあって笑い転げたら、お見合い相手が自分のことをわらっているのだと誤解して破談になったことがあった。

 まだ姉は婚約もしていなかったので破談と云う段階でもなかったけれど、母にきつくお灸をすえられた私と次姉だった。
 
 会話の妙というのは潤滑油であり、当意即妙な受け答えというのは一期一会の味でもある。響く相手がいるというのは何よりの宝と言ってよいだろう。
独りだけが光っていてもダメなのである。
暗闇の中、ダイヤがころがっていても光らない。光源があってこそ光は放たれるのである。

 打てば響く相手がいてこそ、会話は弾み、その喜びは玉になるのである。

 会話はピンポンでありキャッチボールである。
 どんな話でもミットにドンぴしゃりと受けとめられ、どんな玉がきても打ち返してくれるあいてがいて初めてピンポンができ、キャッチボールができるのである。

 ボールを投げる。玉の受け手がいなければ草むらに玉はころがっって、やがて朽ちてしまうだけなのだ。