飛翔

日々の随想です

人生の旅装をとく


 最愛の家族の一員であった愛犬クッキーが亡くなって7年。
 けなげに生きてきたその一生をたたえてやりたい。

 テレビで終末医療に携わる人たちについてのドキュメンタリーを見たことがある。 ショッキングな映像だった。
 それは、余命を知る身寄りのない人たちがその最後を過ごすホスピスのドキュメンタリーだった。。 そこのスタッフは皆若い人たちばかり。
 映像を撮るスタッフは一年間ボランティァでそのホスピスで働き、患者たちの世話をして交流を深め身を持って終末医療と向き合うのだった。

  患者の最後を全員で看取る。 その現場もテレビは映し出す。
 患者たちは身寄りがなく様々な背景を背負ってここへやってきたのだった。
 かたくなだった心をまるで人生の旅装をとくようにくつろぎ「こんな世界があったなんて幸せだ」と笑う老人もいた。
 そんな老人も最期の時を迎える。
 最後を看取(みと)るスタッフの言葉、「えらかったね!かっこいいよ。すごかったね。お疲れ様」
涙をながす愁嘆場などみじんもなく、ただひたすらその最期を讃(たた)えるのである。
それは最後の幕をおろした役者に拍手をおくるようだった。
こんな最期の送り方をはじめてみた。

スタッフはさいごまで全霊をかけて看取るのだった。 泣いてすがるのでなく「がんばったね、見事だったよ。えらいね」と人生の最後の花道をおくるのだった。
讃(たた)える言葉で、心で、最期を見送る花道とする。 人生の最後を讃えられながらその花道をひきあげる。 そんな最期のおくりかたもある。
 
私もそれをみて初めてクッキーに「がんばったね。えらかったね。一生懸命生きてきたね、走ったね、立派だったよ」と言ってやることが出来た。
心よりの賞賛と感謝と愛をもっておくることができた。
千の風にならなくとも、こんな人生の花道の幕引きと看取りがあるならば静けさの中、去ることができるとおもった。