飛翔

日々の随想です

第一回中日文楽を観て


今日は名古屋で「第一回 中日文楽」の公演があり観に行ってきました。
 夜の部は「伊達娘恋緋鹿子」「曽根崎心中
 ユネスコにより無形文化遺産に登録された人形浄瑠璃文楽を観ることができるというので前から予約していたもの。
 しかも、三味線人生70年という人間国宝 七代 鶴澤寛治 が演奏するというので会場は満席。
 近松門左衛門生誕360年でもあり、傑作「曽根崎心中」が出し物。

 人間国宝が奏でる太棹の三味線の音色に目が覚める思いになった。文楽三味線は伴奏でなく、効果音はおろか、季節や情景、人形の人物像、喜怒哀楽などの感情も表現する。つまり、人形が表現できない部分まで三味線が奏でるのであるから、大変な芸術である。

 幕があき、いよいよ遊女「お初」と醤油屋の手代「徳兵衛」の恋が、悪者の九兵衛により、 死んで無実をはらすしかない方向へと進む。人形を操るのは吉田玉女と吉田和生。人形であって、人形でない。もはや血が通った男と女の道行が目の前で演じられている。艶やかで、けなげで、恋人徳兵衛を恋したう女のせつなげな吐息が、三味線でかきならされる。そして着物の裾に隠して、かくまっている男に遊女が足で自分の決断(心中しよう)を伝える見せ場は、見るものの息をとめさせる。
 女の着物の裾に隠れている男も、女の足の表現を悟り、足を喉元に置いて自分も同じだという心情を、足で伝え合う。
 近松浄瑠璃、人形文楽がかもしだす、「足で愛をつたえあう」という舞台芸術の粋、江戸文学の粋を「今、ここ」で味わう感動に震えてしまった。

 最大の見せ場、帯で互を結び合って心中する最後の場面は、人生の最期を二人同時に全うするという「心中」となって結晶する。近松文学のクライマックスでもある。

 人形浄瑠璃の魅力に引き込まれた週末だった。