飛翔

日々の随想です

「「母の日」とぼた餅」


 中学の同窓会があるという手紙がきた。
小学校のクラス会には一度だけ出席したことがある。逢う人逢う人、口をそろえて「お母さん、元気?」と聞いてきた。
クラスの友だちを家に呼ぶと母はいつもおいしい手作りのおやつをだしてくれた。
器も子供だからと言って簡単なものでなく上等の美しい器やガラス食器でもてなした。
みんなのお母さんよりちょっぴり年をとった地味な母は、いつも優しい笑顔で分けへだてなく温かく接してくれ、皆の「お母さん」でもあった。

その中の一人の女の子が母の思い出を語ってくれた。
「私は甘いものが苦手だった。でも百合子ちゃんの家で出されたおばさんの「ぼたもち」を食べたとき、こんなにおいしいものがあったのかと思った」と言った。
母は「ぼたもち」や「草もち」を作る名人だ。
朝からあずきが煮えるにおいが家中に満ちると、今日は「ぼたもち」だと飛びはねて喜んだものだ。

「草もち」はよもぎを摘んできてそれで作る。
子供たちもお手伝いして「すり鉢」の中にゆでたよもぎをいれてゴリゴリとする。
緑も鮮やかなよもぎの草もちは春を告げるとっておきのおやつであった。
クラス全員の「お母さん」でもあった母はみんなの思い出の中に今も生きていると思うと嬉しくて涙が出た。

中学になってクラスの男の子の家が火事で全焼した。
クラスメイトだった男子生徒はおばあちゃんを背中におぶって逃げた。
その日から着るものがなくなってみんなで衣類を差し入れることになった。
古着でよいというので我が家では父のワイシャツを出すことにした。父のワイシャツは特別良い生地で仕立てたオーダーメイドのものばかり。母は新品同様のものを用意した。
私が風呂敷に包もうとすると母が待ちなさいといってワイシャツから刺繍したイニシャルや、洗濯屋がつけた刺繍タグを丁寧にほどいてはずした。
[誰からもらったものか分かるようなことをしてはいけない]というのが母の考えだった。

それから程なくしてその子がほかの子と一緒に我が家に遊びに来た。
着ていたのは素敵なシャツだった。
それは父のものだった。
誰からもらったのかわからないので気楽に着ることができたその子。

中学の同窓会に何年ぶりかで出席するときっとその子にも会えるかもしれない。
母は天国できっと大きくなってちょっとふけた皆のことをにこにこと見守っていることだろう。
もうすぐ「母の日」が来る。ぼたもちを作って母にお供えしよう。