飛翔

日々の随想です

「生きがい」



 ある朝、自分のしていることのおかしさに、笑いがこみあげてきた。
 それは新聞の求人広告の中から、自分にあいそうな求人を丹念に調べている自分に気がついた時だった。自分の能力を活用したいという無意識の欲求がそうさせていたのだと気がついた。
それと同じようなことがあったのを感慨深く思い出した。

 それは老人施設でのことだ。
 施設からSOSがあったのは、90歳の認知症が少しみられる女性で、生きる意欲をなくして、水も飲まず、食べ物も食べようとしない緊急を要した人だった。
 彼女は以前私が受け持ったクライアントさんだったことを知った施設が私に助けを求めたのだった。
 私の顔を見て安心したのか「あ、○○さん!」と言って手を握ってきた。

 ゆっくりと話を聴く月日が経つうち、見違えるように元気になって、こう言いだして私を驚かせた。
 「私ね、刑務所へ行きたいのよ」
 「刑務所ですか?」
 「刑務所へ入るようになった人に二度と同じ過ちを犯さないように諭したいの」
 と言い出した。90歳を過ぎて車椅子の生活の人が誰かの役に立ちたいという強い願望を持っていることに驚かされた。
 彼女が飲まず食わずを自ら課した(自殺行為)のは「生きがい」を見いだせなかったからだ。たとえ90歳でも、車椅子で人の手を借りないと暮らせない状況でも、「自分は生きている」のだという手応え、言い換えると「生きがい」が欲しいと思っていたのだった。

 人間はいくつになっても「生きがい」を求めていくものなのかもしれない。そこがほかの動物と違うところなのだろう。
 しかも、そこには人の役に立ちたいという「愛」が根底にある。それが素晴らしい。
 人間ってなんて素晴らしいのだろう!
 (このエピソードは彼女の了承を得て載せています)