飛翔

日々の随想です

敬老の日

強風が吹き荒れる中、施設に身寄りのない老婦人を訪ねて行った午後。
 右肩から腕にかけて痛むと言って膏薬を貼った手を見せてくれた。ほっそりと今にも折れそうな手をそっと撫でた。寝てばかりいるので手足・背中の血の循環が滞っているのだろう。背中から両肩、腕にかけてそっと撫でさすりながらお話しを聴く。こわばった表情が次第に和らいで安心したのか、横になると言い出した。
 ベッドに少し横向きになり、足をベッドの手すりに曲げるようにおいていた。
 不自然な格好なので腰掛けていた私の膝の上に両足を乗せてもらってマッサージをすると、「もったいない」と言って両目を覆って泣き出した。
 「もったいないなどとんでもない。私は家族だと思っているので遠慮などしないでね」
 というとまた涙をぬぐう。
 今までの交流の中で決して漏らすことのなかった苦労話をぽつりと話してくれた。
 良家の育ちで国立大学にも研究生活を送ってきた、この孤高の老婦人はプライド高く、しかし、心の優しい人だ。この方からどれだけの素晴らしい生き方を教えてもらったかしれない。今、こうして老いて心弱くなっている様子をみるのは忍びない。
 「家族だと思っているのでわがままを言ってもいいんですよ。泣いてもいいんですよ。甘えてもいいんですよ。そのほうが嬉しいのですから」と言うと、
 「お母さんだと思っている」と言い出した。
 「90歳の方のお母さんね。すごいわね」
 と言って笑うと、ようやく笑ってくれた。
 帰りぎわにポツリと、
 「○○さん、生きるって苦しいわね・・・。」
 胸が詰まって返す言葉がなかった。
  また明日もきますと言って別れを告げるとエレベーターまで送ると言い出した。
 「送ってくださらなくても、このままお休みになっていてください」というと
「○○さんが帰ってしまうと泣いてしまうからエレベーターまで送って泣かないようにする」と毅然として言った。
 「そう。じゃあ、送っていただこうかな」
 施設のスタッフに帰りは車椅子を押してくれるように頼んで、エレベーター前で別れた。
 外は台風一過の吹き返しの強風が荒れ狂っていた。