飛翔

日々の随想です

花ある君とおもひけり


戦いすんで日が暮れて。受験生諸君は今頃悲喜こもごもで桜が咲くのを待っていることだろう。
 塾の教師をしていた頃は受験前と後では胃が痛んで眠れない時期だった。
 一番嬉しく驚いたのは高校受験の試験問題が塾で前の日に予想問題として私が出したものとまったく同じだった時だった。塾生によれば、問題を見た瞬間鉛筆を持つ手が震えたという。受験生を持つ親御さんと同じ胸中でこの時期はどきどきしながらそのときを待つのだった。「先生!受かりました!」の報告を聞くと自分が受かったように感激して足が震えた。
 いろいろな職業を経てみるとあの塾の教師時代が最も輝いて楽しい時代だったと思える。
 怖いぐらいの反応が生徒から瞬時に返ってくるのは喜びでもあった。学ぶ喜びがまっすぐ伝わる手ごたえほどうれしいことはない。その分、責任が重い。学校は休んでも塾は休まないと言って親が止めるのもきかずに塾へきた生徒がいた。そういう私も塾がはじまる寸前まで体調が悪くて動けなかったのに、塾が始まったとたん、しゃんとなったものだ。

 私の母が塾の後ろで娘がどんな教師振りをしているのか見たいと言い出して見学したことがあった。塾が終わって帰り際にテーブルに飾ってあった花をみた女性徒が「この花、先生みたいね」と言ってちょっと花瓶の花を直しながら帰っていった。
 後ろの席にいた母のほうへ行くと涙目になっていた。なんだか照れくさい空気がただよって黙って二人で並んで帰った。
 あのときの生徒たちはみんなどうしているだろうか?
 この時期になると生徒たちから最後にもらった手紙を出して読む。
 生徒と共に育った月日だった。