東京から地方のひなびた町に嫁いで久しい。
田舎暮らしが嫌でずいぶん泣いた。
それがどうだろう、いまでは、もう東京には住みたくない。
稲穂の金色が揺れ、ジャガイモ畑で汗を流す農夫の姿がまぶしく、牧場の乳牛がのどかに鳴くのを聞くとき、この地がいとおしくてたまらなくなる。
見栄も張らず、しがらみに泣くこともない今、やっとわたしはわたしでいることに気づく。
ひなびた地の片隅で、ごまめの歯ぎしりの様に、使い道のない英語を勉強し続け、何かに追われるようにいろいろなことを学ぼうと積み重ねてきた。
義父母の介護に明け暮れ、夜遅くまでの仕事に体を壊すまでになった月日。
もう日の目を見ることもない残照の様な私に光が射してきたのは7年前のことだった。
本を上梓し、登檀し、テレビにも出、国際舞台で会議通訳となった。
田舎のおばさんが、あれよあれよというまに活躍の場を与えられた。
人生の砂時計がもう残り少ないことを告げようとしているのに、神様は私にお恵みをくださった。
一生懸命に生きているものには、その結果は現れる。
努力は報われることを知った。
ずっと応援し、励まし続けてくれた母は、今の結果を知ることもなく天に召された。
今を生きる。