歌人であり、元全国紙の新聞記者であった松村由利子さんが長年住み慣れた千葉県から沖縄、石垣島へ移住した。
第四歌集『耳ふたひら』(書肆侃侃房)を上梓されたというので拝読した。
第一声ともいうべき巻頭の歌が力強い光を放って心に食い込んできた。
・時に応じて断ち落とされるパンの耳沖縄という耳の焦げ色
沖縄の人の心や生きる権利さえ無視するモノへの強烈な一打である。
列島の南端に位置する沖縄。パンで言うなら耳にあたる。
なんともこの歌は政府にとって、本土の私たちにとって「耳が痛い」歌である。
しかし、そんな歌人も島にあっては島の生活をたゆたい楽しむのである。
・島時間甘やかに過ぎマンゴーの熟す速度にわれもたゆたう
とはいえ、やはり沖縄の戦中戦後はやわなものではない。
・オオハマボウ「ゆうな」と呼ばれ南島に言うな言うなと沈黙強いる
・英霊と呼ばれることを喜ばぬ母の数など統計になく
・南島の陽射し鋭く刺すようにヤマトと呼ばれ頬が強張る
・集合写真に小さく円く穿たれた一人のような沖縄 今も
沖縄の南の離島に住んで初めてわかる不条理というものを 肌身で感じる著者も、
一方では沖縄の人たちの深い歴史的な痛みを理解することができない外来種か寄留者のようなものかもしれないと悲しむ一端をのぞかせる。
・面倒な外来種だと思われているのだろうかクジャクもわれも
・寄留者であった会社のわたしくしも離島へ移り住んだわたしも
一方、美しくおおらかな調べの歌も心地よい
・耳ふたひら海へ流しにゆく月夜 鯨のうたを聞かせんとして
・水の雲と書くやさしに触れてみる春の海辺のもずく繁茂す
・わが鹿の水飲むところ誰にも告げぬ美しき谷
・わが鹿の・・の一首は、松村由利子の第一歌集『薄荷色の朝に』(短歌研究社)の中でも目を引いた美しい一首、
・涼やかな君の裸身よ水渡る先頭の鹿のような首筋
を思い出させるものがある。
沖縄の南の離島に移り住んでみないとわからなかった風景、時間の流れ方、日本における沖縄に対する不条理さ、自然への畏敬を著者の「耳ふたひら」で聴きとったものをわたしたちに「聞かせて」くれた歌たちであった。
ぜひ、ぜひ、多くの皆様に読んでいただきたいです。