飛翔

日々の随想です

「父の日」への随想(煙草のけむり)

私はタバコをたしなまない。
 しかし二十二年間タバコの煙をすってきた。
 それはヘビースモーカー、いえ、チェーンスモーカーだった父のそばにいたからだ。子どものころ東京は渋谷に住んでいた。八畳の居間の天井は「船底天井」と呼ばれる粋なものだった。その天井があめ色になっている。
 タバコを切らすことなく続けてすうチェーンスモーカの父がくゆらす煙でいつのまにか天井はいぶされて、あめ色に変色してしまったわけだ。
 朝起きると居間にどっかりと座って庭をながめながら一服。
 居間の堀炬燵の一等席が父の居場所である。そこにはお相撲さんが座るような大判のふかふかの座布団が敷いてある。母の手つくりの特製座布団である。
 そこに座って本を読み、テレビを見、お茶を呑む。
 そしてタバコをおいしそうにくゆらせる。
 父は外国人のような容貌をしていた。鼻が痛いのではないかと思うほど高く、秀でた眉の下は彫刻刀で一気に彫り削ったように彫りが深くなっている。目は長いまつげに縁取られていて、面白半分にマッチ棒を乗せたら二本乗るほどくるりと長いまつげでおおわれていた。くっきりとした二重まぶただった。
 上唇は薄く小さく、その形の良い唇でタバコをくゆらせるとき、煙が目にしみるかのように少し目を閉じ加減にする。 それはまるで世を憂うかのようなまなざしで、絵になるのだった。
 お正月になると父はハバナの葉巻を客に出し、自分も吸った。
 これが強烈な香りで胃の腑にしみる様に強かった。
 葉巻の香りが家の中にただようと私はそのあまりにも強い香りで気分が悪くなったほどだ。はいた煙で胃がむかむかするぐらいだからどれだけ葉巻やタバコが体に悪いか想像がつく。
 ニコチンタールであめ色になった船底天井を見上げて、私の肺腑もきっとこんな風にニコチンがついてあめ色になっているのかもしれないと思う。
 そしてさらにあめ色の肺の下にある胃のあたりは真っ黒かもしれない。腹黒い私だから・・・冗談!
 
 結婚して先ず「空気が綺麗」だと感じた。
 それは東京の喧騒からひなびた地に嫁いできたこともあるが、タバコをすうものがいないことだった。
 秋の日に虫干しをして、家中に衣類をつるした。
 夕方になって虫干しをした衣類をしまおうと、吊るした一枚の服の横に来たとき突然あの懐かしいタバコの匂いがした。
 「え?」と見るとそれは父の形見にもらった上着だった。
 お洒落な父は英国製のツイード上着をよくきていた。
 その一枚だった。そこにはタバコのにおいがしみこんでいた。
 それは父の匂いだ。
 夕暮れの庭をみながらタバコをくゆらせる哀愁をおびた父の背中が目に浮かんだ。
 タバコのにおい。それは父さんの匂いだ。