飛翔

日々の随想です

ハム物語


英国南東部に位置するカンタベリー

英国南東部に位置するカンタベリーにいた頃のことである。
カンタベリーは14世紀にジェフリー・チョーサーによって書かれた『カンタベリー物語』で知られる古い小さな田舎町である。英国国教会大本山であるカンタベリー大聖堂がそびえ、いまだに英国各地から巡礼に来る人や観光客で賑やかなところである。

  その古い町の牧師さん一家のお宅に、私は下宿させてもらうことになった頃の話である。

 中世から代表的な巡礼地として栄えてきた、イギリス南東部ケント州のカンタベリーに留学していたわたしは,牧師さんの家に下宿していた。 
 牧師さんのバリーは40代後半。独立している娘二人と高校生の息子、陽気で賢い妻のアニーと暮らしている。
 牧師さんと言うと説教くさい人を想像していたが、でっぷりとした体にやさしそうな笑顔の普通のおじさんというのが初対面の印象である。
 会話はもっぱら陽気な奥さんのアニーと交わすことが多かった。高校生のイアンはわたしの下手な英語をからかうばかり。牧師さんは書斎にこもりっきりで夕食時に顔をみせるだけだった。下宿生活に慣れるにしたがって、夕食後の後かたづけは牧師さんがやるということがわかってきた。
 一宿一飯の恩義があるわたしはお手伝いをかってでることにした。英国の皿洗いはびっくりすることばかり。洗剤をつけてあらうのだが、すすぎをしない。洗剤液がついたままかごに立てかけてふきんで拭いておしまいである。ほとんどの家庭がそうやっているという。
 気持ちが悪くなったわたしは、皿洗いはわたしがやりますから、牧師さんは拭く方をやってくださいと提案した。
 次の日から、皿洗いをしながらわたしと牧師さんは雑談をするようになった。
 雑談といっても、共通の話題がないので話の種はすぐ尽きてしまう。今日学校であった話をするともう次の話題がない。わたしはもくもくと皿を洗い、牧師さんも黙って皿を拭くばかり。


 ある日、趣味の話題になってアマチュア無線の話をすると、牧師さんの皿を拭く手がぱたりと止まった。何と牧師さんの趣味もアマチュア無線だという。アマチュア無線家を「ハム」と呼ぶが、同じハム同士だとわかったとたんに二人は台所で大はしゃぎをした。
 牧師さんの家には無線のアンテナがたっていなかったので、まさか牧師さんがハムだとは知らなかった。そして牧師さんも、まさか日本からの留学生のわたしがハムだなんて想像しなかったことである。
 牧師さんは
 「今日から僕たちはハム仲間だ。バリーと呼び捨てにしてくれ」と言い出した。
  以来、バリーとわたしはあけてもくれても無線談義で盛り上がるようになった。趣味の話になると不思議に英語がすんなりと運んでいった。
 毎日無線談義するだけではあきたらなくなった二人は、実際に無線機に向かって話したいと思うようになった。
 そこで同じアマチュア無線局である奥さんの弟の家まで出かけることにした。弟さんは工業高校の先生をしていて、アマチュア無線クラブの部長をしているという。
 バリーとわたしはその工業高校へ行ってそこから全世界に向けて電波を出そうということになった。
 緑したたる田園風景の中、車は義弟のいる村へと進んだ。
 普段、無線談義はしても、バリーとわたしは個人的なことは話さない。
 それが突然、車の中で自分の生い立ちの秘密を明かした。
「私生児って知ってる?」
 運転していたバリーが突然わたしに尋ねた。
 「私生児?法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子のことでしょ?」
 「そう。それそれ。僕は父親がわからない私生児として生まれたんだ」
  バリーの突然の告白にわたしはうろたえた。
 それは、わたしとバリーが、ロンドン南東部に広がる通称「英国の庭」と呼ばれるケント州の小道をドライブしていた時のことだった。

 バリーは父親が誰かわからないままこの世に生を受け、まもなく養子に出されたとのこと。
 バリーが突然車をとめた。この近くに自分を生んだ母の墓があるから今から行くと言い出した。いつのまに積んだのか、車の後ろにバリーが庭で育てた花があった。
 粗末な荒れたような墓地だった。
 生い立ちの秘密をなぜわたしに話したのだろうかと考えた。同じ趣味だとわかった日から、心を開いて話すようになったとはいえ、解(げ)せないことだった。
 思い当たることといえば、ある日、わたしは自分の名前の由来についてバリーに話したことがあった。女ばかりの三番目に生まれた日、父は、がっかりして名前も考えたくなかったこと。届けを出す最終日にしかたがなく好きな花の名前をつけたいきさつをバリーに話した。
 やっぱりわたしはうまれてこなければ良かった子だったのだろうかとたずねた。バリーはどの子供も神様の愛の元にうまれたのだと答えた。しかし、無宗教であるわたしに神様の愛がどんなものか理解できなかった。神様よりも父親に祝福されたかったと思った。
 わたしに理解させるのは難しい問題である。言葉の障壁もある。バリーはずっとその答を心に抱いてきたのだろう。
 バリー自身、父の愛も母の愛も受けずに、なかば捨てられたような生い立ちである。私以上に考えてきた問題だったにちがいない。
 バリーは
 「今自分がこうして生きていることが嬉しく、日々感謝している。命をいかすのは自分である」
 と静かに語った。
 多くのことを語るよりも自分をさらけだし、一緒に考えようとする姿勢に心を揺さぶられた。
 質素な墓に額(ぬか)ずくバリーの後姿には五十年近く己の命と向き合ってきた人の厳しさがあった。
 異国から来たわたしに家族にさえ語らなかった自分の生い立ちを話してくれた重さをひしと受け止めた瞬間だった。
 墓地を出ると二人はまた義弟が待つ村へと急いだ。
 目的地の工業高校について、わたしは英国からはじめて全世界に向けて自分の声を電波に乗せることができた。
 帰路につく途中でバリーが面白いものを見つけ、車を止めた。それは「ハム村」と「サンドイッチ村」という標識である。珍しい標識なのでよく盗まれるとか。

「ハムとサンドイッチかぁ!こりゃ傑作だ!ここに二人のアマチュアハムがいるから豪勢なサンドイッチのできあがりだな!」
 バリーとわたしはおなかをかかえて笑った。
 英国を去る日、バリーは英国のアマチュアハムのステッカーを記念にくれた。
 バリーが墓地で言った「命をいかすのは自分である」の言葉と共にわたしの一生の宝物となった。
 
    「アマチュア無線

無線機とモールス信号送信機。


タワーはリモコンで伸び縮がするすぐれもの。伸ばすと30mにもなる。

アンテナは7エレメント。屋根を覆い尽くす長さ。

愛車に乗って。庭の中にそびえるのは高さ30mにもなるアマチュア無線のタワー。