飛翔

日々の随想です

一輪の花と路傍の人


私は人とのちょっとしたふれあいが好きだ。
例えば塀の周りの花に水遣りをしていると、通りすがりの見知らぬ人が声をかけてくる。

「きれいな花ですね。なんという花ですか」
 「いつも丹精なさっていますね」
 などと話しかけられる。
 小学生の列が通っていくときは、
「おはようございます」
と挨拶する子や、ホースの上に乗っかっていたずらする子もいる。
 小学生の一団が通り過ぎると、自転車に乗った工員風の男性が、
「おはよう」と声をかけてくる。
 「あ!おはようございます。いってらっしゃい」と返事。
 こんな人もいる。
通りすがりにいつも必ず挨拶して行くサラリーマン風の人だ。近くに住んでいるようだけれど、どこの誰かまではわからない。
 塀の周りの花が盛りになるころ、その人は会釈(えしゃく)でなく少しだけ長い会話をするようになる。
 主に「パンジーが綺麗ですね」とか「蝋梅(ろうばい)の香りがいいですね」など花にまつわることが多いが、時には庭の中にそびえる30メートルのアマチュア無線のタワーについて尋ねられることもあった。

 そんな風に毎朝の水やりと、人とのふれあいは楽しい一日のスタートである。朝が水やりで始まるのなら、夕方は犬との散歩で締めくくられる。
 ある日、いつもの散歩コースを変えて、少し遠い先の方まで行ってみることにした。そのあたりは牧場に近く、雑草がおいしげり、ひときわひなびた風景がひろがっている。気がつくと見たことのある風貌の人が前を歩いていくではないか。あの人だった。そう。いつも挨拶していく男性だ。
 今日は背広姿でなくラフなセーターに渋い茶色のズボンをはいている。彼は突き当たりにある一軒の家に入っていった。
 通りから庭の中がみえた。たくさんの鉢が並んでいてそこには丹精した草花が植わっていた。おもに山野草が多く、みたことがないような野草が植わっている。その中の一鉢に目が吸い寄せられた。それは白サギが舞うような姿をしていた。「サギ草」だ!

 いつも会釈して我が家の前を通っていく人の、渋い好みを発見して嬉しくなった。地味ではあるけれど美しい山野草をめでるその人はどんなことを想って過ごしているのだろうか?
 いつまでもこの家の近辺をうろついていては怪しまれそうだと思い、早々に家路につくことにした。
 それから数か月後の日曜日。久しぶりにアマチュア無線を楽しもうとスイッチを入れた。アメリカ方面にアンテナを向けるとカリフォルニアから日本人男性が日本に向けて交信をしているのが聞こえた。

 UCLA,カリフォルニア大学ロサンゼルス校からのオンエアだ。
 マイクを握って交信している男性は日本の某国立大学の教授だった。学会に参加するためにこの大学に出張していると話している。
 私も早速この人と交信すべく呼んでみた。すると大勢の日本人が呼びかけている中、私をピックアップしてくれた。
 個人に与えられた無線上の呼び出し符号である私のコールサインを言って、自己紹介しようとすると、
 「○○市に住んでいる文箱さんでしょ?」と突然私の本名を言ったので驚いた。
 「え?初めてお話しするのですが、どこかでお目にかかったことがあるのでしょうか?」
 と尋ねた。
 すると彼はこういった。
 「いつもお宅の前を通りかかってお花を楽しませて貰っている○○と申します」
 と言った。
 「あの〜。もしかしたらサギ草を育てている方ですか?」
 とついうっかり言ってしまった。
 「あははは。そうです。よく、私がサギ草を育てているのがわかりましたね、さては私の家を見つけましたね?」
 という。
 (そうか、サギ草の君はアマチュア無線局だったのだ!)
 アメリカと日本。二人は電波を介していつまでも話に花が咲いた。
 交信の最後に彼は、
 「日本に帰国した時は、わがやの山野草を是非お目にかけたいので家に遊びに来てください」
 と言って交信は終了したのだった。
 塀の周りに花を植えていなければ、そして水やりをすることがなければ、言葉を交わすこともなく過ぎていった二人であった。
 草花は何も、ものを言わないけれど、素敵な出会いを作ってくれた。
 通りすがりのあの人、いえ、すっかり仲良しになった「サギ草の君」はもう帰国しただろうか?