飛翔

日々の随想です

着火


 
 私たち夫婦は結婚してほぼ半世紀が経つ。

 すごいものだ。
 何がすごいって、言葉のスレ違いがやたらに多い。

 摩擦がおきそうだが、両方がマッチの軸なので発火しないで済んでいる。
 しかし、着火したことが一度だけあった。
それは知り合ってまもないときのことだった。
数人のグループで雑談していたとき、 いつも無口な彼がその時に限って、
 「お金以外なら何でも欲しいものをあげるよ」
 と私に言った。

多分冗談だったのだろう。
私も冗談のつもりで、
 「それならあなたの心を頂戴」と言ってしまった。
 彼は、はっとして私の顔をみつめたままだった。
私も自分で自分の言葉に驚いた。
 笑いにまぎらわして過ぎていったけれど、それは一瞬の稲妻のようなものだった。
 何かの発火点があるとすると恋の発火点は一瞬のうちに着火するものだ。
 人は心の中で思っても見ないことは言わないものなのかもしれない。
 あれから半世紀。
もう着火すべきマッチ棒はすっかり湿気ってしまった。