飛翔

日々の随想です

男を男の中の男にする法

父親は三代続いた生粋の浅草育ちの江戸っ子である。貧乏人の次男坊である。「宵越しの銭はもたねえ」とばかりにきっぷがよく短気であった。
 下町育ちの父に反して、母は山の手育ち。祖先の中には歴史の教科書に載っている者もいる。この異端のカップルが一緒になったのだから大変だ。お互いの所作から習慣、生活全般が違うことばかり。
 母の時代は謙虚で夫をたてるのを旨としていたから、波風は立たなかった。 母は生涯、父に敬語を使っていた。それは子供ながらにも麗しい言葉遣いのように思えた。
 「お父様、果物を召し上がりますか?」と尋ね、夏ミカンなどは房から果実を取り出し、砂糖をふりかけ、美しい江戸切子の器に盛って出した。箸は父だけ紫檀の上等の物であった。ごはん茶碗は、夏は薄手で清水焼の涼しげなものを用(もち)い、冬はたっぷりとした温かみのある麦わらでの茶碗を父用に使った。毎日父のためにだけ白身の魚を求めてクーラーボックスをかついで魚河岸に出向いた。
 そんな母の時代はもうすっかり過去のものとなった。時代の変遷はすごい。現代では姑と嫁という関係は対等になり、挙句(あげく)の果ては、嫁は姑を駆逐したばかりでなく、亭主までを上回る権力の長となった。
 給料は金融機関への振り込みとなり銀行から給料をおろしてきたお金から亭主殿はお小遣いを「頂く」。
 子どもは自分の家の長は「お母さん」だと思い込んでいる。もっとも家長制度などはすでになくなり、父権もへちまもない時代である。ましてや少子化時代になり、子どもをスポイルした父親は子どもの顔色を伺うばかりに成り下がった。友達のようなお父さんが理想となった。昔の父親のように威厳に満ちた大人の男という存在はいなくなりつつある。
 妻に小ばかにされる夫。子どもに尊敬されない「友達のようなお父さん」。
 男が顔にパックをし、エステに通い、始終鏡に向かってグルーミングする時代。なよなよと決断力の無い草食系男子に成り代わって、女性は強くならざるを得ない。
 どっちが強くても弱くても個々の家庭がうまくいっていれば文句のつけようもないことだ。
 しかし、個人的な願望からすれば男性は雄雄(おお)しく、逞しく、弱きをくじく存在であってほしい。
 「強い」ということは、腕力や権力や、力の誇示でなく、深い知力と洞察と実行力を伴って、大きなまなざしで物事を対処できる能力のことをさすと私は思う。その中にはリーダーシップも含まれる。
 聡明な女性は決して子どもの前や第三者の前で夫を罵倒したり、ないがしろにするようなことはしないものだ。
 どんなにダメな夫でも、子どもでも、部下でも、生徒でも、自信をみなぎらせる原動力が備われば、どこまでも高く飛べるものだ。
 それが家庭であるなら夫は天高く飛んで誰よりもおいしい餌をとってくるだろうし、子どもは嬉々として成長することだろう。
 しかし、男性が雄雄しく逞しく強いというのは幻想であるということが最近おぼろげながら分かるようになった。男の人は甘えん坊で、やきもち焼きで、大きな子どもであるらしい。
 それを理想どおりの強く逞しく雄雄しい男性にするには「鬼嫁」となってはいけない。
 人間は強いものに従いたくなるか、反発するかどっちかだ。強い鬼嫁側としてはイニシアティブをとって管理しやすいとおもうのは女の浅知恵。
 長い目で男を本当の男の中の男にするには。さて、秘策は何?その秘策を聞く前に母は天国に逝ってしまった。
 残されたダメ娘の私はダメ女房のまま。夫はこのダメ女房に任せておいてはいけないとばかりに、最近家事を手伝うようになった。料理も少しばかり作る。
 この夫が先日、突然「かたかして」と言い出した。
 「え? 肩かせって?なんで?」と尋ねると
 「天井に上って電気の配線をするから」と言う。
 「え〜!今じゃなきゃだめなの?」と尋ねると「早く」とせかす。
 「え!私が天井裏までのぼっていくの?」と尋ねると、
 「天井裏までのぼってくるには及ばないよ。そこから渡してくれればいいよ」という。
「肩を手渡すなんてアクロバット私できないわよ〜」と言うと、
 夫が天井裏から転がるように降りてきて、
 「何言ってるんだよ!」と叫んだ。
 だって「肩かすんでしょ?」と尋ねると夫はその場でひっくりかえった!
 「肩じゃなくて」「カッターかしてくれ」って言ったんだよと笑い転げる。同軸ケーブルを切る「カッターナイフ」のことだった。
 とんだ「かた違い」である。
 週末小さな旅に出た。駅弁にウナギ弁当を買った。
「このうなぎ、養殖かしら?」
と夫に尋ねると、
「うなぎは和食にきまってるだろ!」
 と答えが返ってきた。
 私たち夫婦は結婚して○年が経つ。すごいものだ。何がすごいってこれだけすれ違うと摩擦がおきそうだが、両方がマッチの軸なので発火しないで済んでいる。 早い話が破れ鍋にとじぶたの夫婦である。
 もしかしたら、夫をしっかりさせる一番の秘策は、案外、私のようなダメ女房なのかもしれない。