飛翔

日々の随想です

停車場

子どもと云うものは親がどんなに邪険にしても慕うものなのだろうか。
テレビの番組で嬰児の頃に育てられないからと言ってわが子を捨てた母を大人になった子どもが探す番組をやっていた。育ての親がどんなに親身になって実の親よりも愛情をこめて育てても、成人するとやはり実の親を探す子ども。
父は仕事人間でほとんど家庭は母任せ。自分の子どもが何歳なのか、どこの学校へ行っているのか、今何年生なのかも知らない人だった。父のところへ客人がきて、お茶だしした私に向かって「お嬢ちゃんは何年生なのですか?」と尋ねると「何年生だったっけ?」と尋ねる父だった。
幼い頃、大きな大人用のつっかけを履いて一人で出て行ったことがあった。家ではいなくなった私をさがして大騒ぎ。当の私はといえば、ただただ父の帰りを待ちきれずに一度だけ母に連れて行ってもらった遠くの駅まであるいて迎えに行こうとしていたのだった。埼玉県の与野というところに住んでいたころのことだった。
あの石井桃子さんのご実家の近くだった。たまたまその日だけは早く帰って来た父に大踏み切りのところでばったりであった。手を繋いで帰って来る道すがら、大きなすすきの穂が風にそよぐ様子が笑って見えた。
以来、駅はどんな駅でもあの与野の駅につながっているような感じがして懐かしい。それは私と父を結ぶつかのまの幸せとつながっているのだった。


石川啄木に停車場を詠んだ歌がある。
ふるさとの訛りなつかし停車場にそをききにいく



啄木はほかにもこんな風に停車場を詠んでいる。


汽車の旅 とある野中の停車場の 夏草の香のなつかしかりき



かの旅の 夜汽車の窓におもひたる 我がゆくすゑのかなしかりしかな


ふと見れば とある林の停車場の時計とまれり 雨の夜の汽車


わかれ来て燈火(あかり)小暗(こぐら)き夜の汽車の窓に弄(もてあそ)ぶ青き林檎よ


壁越しに 若き女の泣くをきく 旅の宿屋の秋の蚊帳かな


停車場という古めいた言葉自体が哀愁を帯びている。

駅や停車場は「わかれ」をイメージさせるのはなぜだろうか?



ふるさとの訛りなつかし停車場にそをききにいく



東京生まれの私には懐かしむような「なまり」はないけれど、
「停車場」は遠い昔の父と娘を結びつける記憶の糸がつながっているようで、やはりなつかしい場所だ。