部屋に入ってきた夫が突然「かたかして」と言った。
「え? 肩かせって?なに?」と尋ねると
「天井に上って電気の配線をするから」と言う。
「え〜!今じゃなきゃだめなの?」と尋ねると「早く」とせかす。
(せっかくいい構想が浮かんできたのに・・・)と不承不承、夫のあとについていった。
天井裏にあがった夫がまた
「かたかしてくれ」と言う。
「え!私が天井裏までのぼっていくの?」と尋ねると、
「君が天井裏までのぼってくるには及ばないよ。そこから渡してくれればいいよ」という。
「肩を手渡すなんてアクロバット私できないわよ〜」と言うと、
夫が天井裏から転がるように降りてきて
「何言ってるんだよ!」と叫んだ。
だって「肩かすんでしょ?」と尋ねると夫はその場でひっくりかえった!
「肩じゃなくて」「カッターかしてくれ」って言ったんだよと笑い転げる。
同軸ケーブルを切る「カッターナイフ」のことだった。
次の日、
夫が帰りの時間をメールで送ってきた。
帰宅時間に合わせて魚を焼き、味噌汁を温め、サラダのドレッシングをかけ、すぐ食事ができるように準備した。しかし、メールで送ってきた時間になっても帰ってこない。様子を見に門の外まででて見たが、人影も車の往来もない。
事故にでもあったのかしらと待つこと30分。
やっと帰ってきた。玄関で「うちまちがえちゃった!」と照れ笑いしている。
「どこに行ったの?味噌汁は冷めるし、魚はもう二回も暖めなおしてぱさぱさよ」というと、
「だからうちまちがえちゃったんだよ」と繰り返す。
私はむっとして「酔っ払ってるの?」と尋ねると、きょとんとして「酔っ払ってなんかいないよ」と言う。
「酔ってもいないのに、どこの家(うち)に間違えて入っていったの?」と私が尋ね返すと
「え!?何の話?」と答えるじゃありませんか!
「家(うち)まちがえたんでしょ?」と尋ねると
「やだなー!打ちまちがえたんだよ」と答えた。
携帯メールの帰宅時間の数字を打ち間違えたということだった。
とんだ「うちまちがい」である。
週末小さな旅に出た。駅弁にウナギ弁当を買った。
「このうなぎ、養殖かしら?」
と夫に尋ねると、
「うなぎは和食にきまってるだろ!」
と答えが返ってきた。
私たち夫婦は結婚して○年が経つ。すごいものだ。何がすごいってこれだけすれ違うと摩擦がおきそうだが、両方がマッチの軸なので発火しないで済んでいる。
しかし、着火したことが一度だけあった。それは知り合ってまもないときのことだった。数人のグループで雑談していたとき、いつも無口な人がその時に限って、
「お金以外なら何でも欲しいものをあげるよ」
と私に言った。多分冗談だったのだろう。私も冗談のつもりで、
「それならあなたの心を頂戴」と言ってしまった。
彼は、はっとして私の顔をみつめたままだった。私も自分で自分の言葉に驚いた。笑いにまぎらわして過ぎていったけれど、それは一瞬の稲妻のようなものだった。
何かの発火点があるとすると恋の発火点は一瞬のうちに着火するものだ。人は心の中で思っても見ないことは言わないものなのかもしれない。
あれから○年。もう着火すべきマッチ棒はすっかり湿気ってしまった。