飛翔

日々の随想です

スーパーマンはいる

 父親コンプレックスの私だ。何十年と心の中に閉じ込めてもう、忘れたふりをしてきたもの。それが父親コンプレックスである。誰にも言わず、言えず、忘れたふりりをしているうちに、いつのまにか本当に忘れてしまったコンプレックスだ。
 上二人が女の子であった父は3人目こそは「男の子」と望んだ。しかし、産まれたのは「またしても」「女の子」であった。やけになった父は産まれた赤子に名前をつけるのさえ嫌がって、区役所に届ける最終日にようやく、好きな花(百合)の名前を不承不承つけたのだった。
それが私であり、私の名前であり、私の出生の顛末である。
 危険を冒して病弱な母は私を産んだ。それなのに喜ぶどころか「また女かあ!」と落胆し、子供に名前をつけるのも厭う夫の態度にどんなに傷ついたことだろう。
 母はそんな出生の秘密を決して私には言わなかった。一回り以上も年上の姉が長じて私に教えてくれたのだった。
 作家の幸田露伴の娘で同じく作家の幸田文は「みそっかす」という作品の中でこう言っている。

娘が生まれたとき「いらないやつが生まれてきた」と父がつぶやいたということを、女中からきかされ、  物心ついてから何十年の長い年月を私はこのことばに閉じ込められ、寂寥と不平とひがみを道づれにし   た。

 とある。
 まさに私も同じだった。きっと父は生涯、娘が悲しがっていたことを知らずに死んでしまったにちがいない。かたくなだった幸田文露伴亡き後、「父の生命とひきかえのようにして、ようよう全ての子は父の愛子であるということがわかったのであった」と結んでいて、私も救われたような気持ちになった。
私はBen Jonsonの「It's not growing like a tree」の一節をこよなく愛す。

A lily of a day
Is fairer far in May,
Although it fall and die that night;
It was the plant and flower of Light.
In small proportions we just beauties see;
And in short measures life may perfect be.

一日の百合の花、
五月には更にうるわし、その夜散りて朽ちはつるとも。
そは光受けたる花なりき。
なりふりの小さきものにもまことの美あり、
命は短かけれど全き人もあるなり。

この名訳を書いたのは英文学者の斎藤勇氏である。世に英詩の翻訳本はあまたあるけれど、齋藤先生の訳は日本語として味わっても名品である。

父が亡くなる前、皮肉なことにうとましかった三人目の女の子であった私が看病にあたった。動けなくなった背中をなでるようにさすると「ああ、楽だ」と喜んだ。
あんなに大きかった背中が小さくなっていた。

 これが私の父親コンプレックスの源である。
 結婚して驚いたのが、夫の父、つまり義父が息子に見せる愛情のこまやかさであった。「お父さんって、こんなにも子供を体当たりのようにして可愛がり、厳しくするのか」と思った。
 この義父は大事な息子の嫁である私にも影になりひなたになり応援してくれた。その応援はただ手をかすとかではなかった。怠けたり、努力しないものには厳しかった。しかし、孤軍奮闘して努力している者、私のようなものには、見える形だったり、見えない形で手を差し伸べてくれた。自宅で塾を始めたときは、道路に並んだ生徒たちの自転車を黙々と揃え、交通整理をし、知り合いに塾のPRをひそかにしていたのも義父だった。
 生まれてはじめて翻訳童話を出版した時、一番に献上したのは義父であった。数か月後、我が家に一通の礼状が届いた。それは小学校からだった。なんと義父は私の童話本を小学校に寄贈したのだった。つたない本であったけれど、小学生に読んでもらえたら本望である。涙がでるほど感謝した。
 私の日々は、地味で評価のない暮らしではあるが、理解し応援してくれている人がいると思うと報われる。
 
 大きな温かい心が私を見守ってくれていると思うと心がなごむ。
 スーパーマンはいるのだ。
 誰かがそっと窮地を救ってくれる。心の声を聞いてくれている人はこの世にはいる。