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新編明治人物夜話

新編明治人物夜話 (岩波文庫)
森 銑三,小出 昌洋
岩波書店

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本書は在野の碩学 森銑三が明治の人物に関する逸聞、逸事などを新聞、雑誌、図書などから引用し書き綴った三十九篇である。


少しも堅苦しさがなく、あまたの資料をもとに明治天皇を筆頭に明治の文豪や落語家、歌舞伎役者など有名無名を問わず縦横無尽に書き綴った人物素描。



明治天皇の軍服」では酒の強かった天皇を心配した昭憲皇太后がおいさめになると、面白がって、なおのこと過ごした話題だの、重臣たちに片っ端からあだなをつけたエピソードなどが面白く、明治天皇に対するイメージが新たになった。


「海舟邸の玄関」では海舟が少しも西洋かぶれせずに、奥ゆかしく慎ましい様子は旧幕時代そのままで、意外な側面を垣間見ることができた。


明治の文壇に活躍した紅葉、露伴、子規、漱石、緑雨についての逸聞などは、「とっておき」という言葉が似合いそうな文章が多く「へー」と驚いたり、ユーモラスな文に笑いがこみあげてきたりでまさに絶妙な人物夜話。
著者自身もきっと図書館の隅で資料を繰りながら、楽しみながら書いたのだろうなどと想像するのも二重の楽しさがある。


特に森銑三がことのほか推重する斉藤緑雨の「緑雨の人物」の章は極め付きの感がある。


緑雨は晩年、金策に苦労し、見かねた者が何か書くよう勧めると

「人から金を借りたからといって、恥にはならぬ。金が欲しさに、書きたくもない原稿を書くのは、緑雨の名を汚すものだ」といったそうである。芸術的良心などと云う言葉は近頃聞かないようなきがするが、緑雨のそうした芸術的良心に、頭の下がる思いがする』
『紅葉、露伴漱石、子規、緑雨は慶応三年生まれ。明治文壇で活躍した文人たちであるけれど、古武士の如き精神の持ち主として私が緑雨を第一と推重する所以はそこにある』
と、ある。
また「緑雨には逸文がきわめて多い。それらを集めて版にしてくれる篤志家はいないものだろうか」と締めくくるところなど、いかに銑三が緑雨を推重していたかが分かろうというもの。


第二部では趣ががらりと変わり、画人、芸人(歌舞伎役者、落語家)、奇人などとなっており、歌舞伎好きだった著者の話は一段と艶がまし、落語家三遊亭円朝にはその紙幅を大きくとっていて、銑三がどれだけ円朝を好きだったかがしのばれる。
この「三遊亭円朝」だけでも読みごたえがあって、書画をたしなみ、詩歌、俳諧に造詣が深く、大蔵書家であり、人品高い人柄であった円朝の人物像の素描は味わい深い。
銑三の柔軟な人柄、ユーモアのセンスの源は、こんなところにあったのかもしれない。


第三部は著者の知友の明治人を収めたもので十九歳のとき知った恩師との文章修行や、上京したときの思い出、戦災で全ての資料を失ったことなど、そして西鶴研究にいたったことなどが記してある。


本書は明治の文壇に活躍した紅葉、露伴、子規、漱石、緑雨についての逸聞も面白く、その一方、世間からは閑却される無名な人も登場し、そうした人物にどれだけ逸材がいたか、本書を読んで知ることができたのも一興だった。
生涯を読むこと書くことに徹した在野の碩学 森銑三が折ふし綴った明治の人物スケッチ集.