飛翔

日々の随想です

開高健が読む『食道楽』村井弦斎

  ノンフィクションライターの黒岩比佐子さんが上梓なさった『『食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店)を読んではじめて明治のベストセラー作家でジャーナリストであった村井弦斎という人物の名前を知った。
 黒岩比佐子さんご自身も、『伝書鳩 もう一つのIT』(文春文庫)を上梓されるとき明治時代に『伝書鳩』という小説を書いた作家としてはじめて、その名を知ったと「あとがき」に書いている。
 つまり村井弦斎という名前も『食道楽』という小説も現代ではあまり知られていないというのが一般的である。しかし、世に「食通」といわれる人はこの明治のベストセラー『食道楽』を読んでいたことを発見。
 その「食通」は次のお三方である。
 荒正人池田弥三郎開高健である。健啖家、食通といわれている人たちである。この三人の鼎談(古今東西「食」の本)の中で三人が村井弦斎の『食道楽』について語っている。
 (荒) 近代日本ということでは、正岡子規がああいう悪条件の元でよく食べ物のことを書いていますね。
 (池田) 若い頃がむしゃらに食っていたのに、病気で寝込んで食えなくなっちゃったからでしょうか、うまいものです。こちらも食べたくなりますね。それからやはり、村井弦斎の『食道楽』(全四巻 柴田書店 揃10000円)じゃないかなあ。
 (荒) あれは傑作です。
 (開高) 弦斎は食い物だけじゃなくて魚釣りもやっている。魚釣りについても百科全書的なものを書いているんですよ。
 (荒)もともと小説家で余技に書いたものが当たっちゃった。
 (池田)だから運びが小説的ですよね。
 (開高) 奥さんや女中、それから書生などの会話体になっている。
 (池田) あの会話体が食のほうにいかなければ、つまり斉藤緑雨の線で行けば猥本になる。
 (開高) そうそう。やっぱり猥本と美食本はウラとオモテのものですよ。それに西鶴の「一代男」が当時の日本全国の岡場所案内記みたいになっているように、村井弦斎のものは、ひとつの名店案内、各地の名産案内にもなっているんだな。
 (荒) 増補版まであって、「卵の料理二百種」とか、いろいろ出ていますね。)

(開高健全対話集成 食篇『ああ好食大論争』)(潮出版より)

 とあるように、さすがに「食通」であり、博覧強記である三人は村井弦斎の『食道楽』をよく読んでいると感心した。特に荒正人に至っては増補版まで読んでいるとは恐れ入るばかりだ。そして開高健はさすがに釣りが好きとあって「釣り道楽」の存在についても知っていたようだ。
 黒岩比佐子さんのこの評伝をこの三人にも是非読んでいただきたかったものである。