飛翔

日々の随想です

くず湯

世の中には老父母の介護生活をなさっている方が多い。
私も新幹線の回数券を買って東京まで介護していた数年があった。費用も莫大で仕事をしながらの生活。金曜日の午後東京へ、月曜日には帰宅。帰宅するとすぐに仕事が夜9時まであった。新幹線に乗っている間だけがほっと一息つける時間。そして仕事もそうだった。
そんな介護も虚しく父が亡くなり今度は義父が認知症になった。仕事場に義父がなだれこんできて大騒ぎになったこともあった。
介護生活で一番つらいのは体力的なことの他に親類縁者の心ない干渉と無責任な言葉。介護設備や助成金などのおかげで以前よりはよくなったとはいえ、まだまだの状態である。介護するものへのケアも大切である。心身ともに疲れてしまいがちなのである。共に共感し話せる友だちが欲しいとおもった。知人は親切に「大変ね」とはいってくれるけれど、体験しなければ分からない「大変」さがあるのだ。同じ介護仲間と誰にもいえない大変さを言い合って参考にしたり共感したり、発散したりすることがなによりのなごみになる。
介護に疲れてソファによりかかったまま動けなかったことがあった。そのとき、「これ」と言って夫が差し出したのが一杯のくず湯だった。熱々のくず湯は身も心も温めてくれた。「どうしたの?」と聞くと「深夜まで受験勉強していたとき、親父が起きてきてくず湯をつくってくれたことがあってさ、それを思い出して作ってみたんだ。」と言った。そのお義父さんが今は介護される身。妻一人に介護させてすまないと思う気持ちとかつての優しかった父を思って作ってくれたのだろう。
寡黙な夫の精一杯の気遣いだった。