飛翔

日々の随想です

老いと介護


 寒い年の暮れとなった。元日は当地でも雪になるという予報がでた。寒風吹きすさぶ頃になると思い出す。あの日のことを。
 凍えそうに寒い日、畑の真ん中にスコップで穴を掘った。そこにひとかかえもある石油缶を埋めるためだ。そばには義父が立っている。頭脳明晰で日本各地の橋を設計し、都市計画をした。そんな義父がすっかり人が変わったように認知症になって、寒風ふきすさぶ畑の真ん中にたたずんでいる。外に設置しておいた大きな灯油缶が燃えると言ってきかない。「大丈夫」といくら言っても納得しない。家には寝込んでいる義母がいるだけ。仕方がないので、義父の手を引いて畑の真ん中までつれてきて、大きな穴を掘ることにした。かじかんだ指でスコップを握り締めてカンカンに凍った土を掘る。寒くて震えていた体がだんだん汗ばんでくる。畑の真ん中で狂ったように穴を掘る私。そのそばで震えながらたっている老父。
 他人からみたら異様な光景だったに違いない。
 「お父さん、石油缶、ここに埋めるからね。いい?見た?埋めたわよ」
 大声で叫び、義父の顔を確かめながら缶を埋める。
 土をかぶせ、足で踏み固めた。義父の手を引いて家にひきあげながら泣いた。
 困ったときはどこで見ていたのだろうと思うほど、どこからともなく現れて窮地を救ってくれた義父だった。その義父が今は赤子のように私に手を引かれている。
 かつては、銀髪の髪をなびかせながら痩せぎすの体に銀輪を駆って通りを走り抜ける姿は颯爽として若者のようだった。
 高い鼻。鋭い目。
 日本中をみまわしたその鋭い目が今はどこを見ているのか焦点が定まらない。
 私がはじめて翻訳本を出版したとき、義父に真っ先に渡した。それからまもなく、近くの小学校から礼状が届いた。父は私に黙ってその本を学校に寄贈したのだった。恥ずかしいような、嬉しいような当惑した気持ちが駆け巡った。
 そんなかつてのことが頭の中を駆け巡ると涙がとまらない。
 介護が必要な義父母をかかえてこの先どうしようかと暗澹たる気持ちの中、夫と二人で乗り切ろうと決意した日々が、この寒空を見ると思い出す。
 介護の制度が以前よりも改善された昨今であるが、介護する側の心のケアが万全とはいえない。
 介護はいろいろな人の手が必要であり、一人ではとても支えきれないものがある。精神的支えと経済的支えは必要不可欠な要素である。身内の心ない過干渉、口は出すが手は出さない。そんなことがあってはならないのである。誰にも老いはやってくるのだ。年老いて認知症にたとえなっても、魂の尊厳は守られねばならない。 
 介護は、される側もする側も、つらいものであってはならない。国の介護制度の充実がまたれるが、周囲のやさしさが支えになることを忘れないでいたい。