飛翔

日々の随想です

ちょっといい話

 
安藤鶴夫直木賞作家で、演劇評論家、であるが、そのライバルとも言われた戸板康二は同じように直木賞作家であり、劇作家であり、評論家でもある。あんつるさんの本を古書市でみつけたように、今日は古書店で買ってきた戸板康二の本「ちょっといい話」(文藝春秋)を早速読んだ。読む端から面白くって可笑しくって、言葉の妙味に笑みがこぼれた。
これが爆笑というのではなく、思わずにやりとする話から「うふふふ」という類のもの、「わはっ」と笑うもの、「おーおー」という茶々を入れたり、「うまいなあ」とうなったりと忙しい本なのである。
題名にあるように本当に「ちょっといい話」ばかり。
例えば、
作家によっては、独特の用字法があるのを知っておいたほうがいい。
夏目漱石は、サンマのことを、秋刀魚と書かず、三馬と書いた。「浮世床」を愛読したためかも知れない。
泉鏡花は、豆腐の「腐」がいやなので、「豆府」と書いた。この作家は煙草はもっぱらキザミだった。久保田万太郎は、「泉先生の豆府の府の字は、水府(愛用のきざみ煙草)の府からきている」と言った。斉 藤茂吉は、絶対を絶待と書いた。森鷗外のひそみにならったのではあるまいか

などなどである。
まったく戸板康二という作家は言葉の妙味の達人である。軽妙洒脱とはこの人のためにある言葉。そんじょそこらで使ってもらっては困るのである。
そんな軽妙洒脱な文が続く中、ほろっとくる文が目に留まった。
それを引いてみよう:
 テレビで森繁久弥さんが、目の不自由な子供たちの前で歌っていた。「七つの子」という童謡である。
「からす、なぜ鳴くの。からすは山に、かわいい七つの子があるからよ」と歌って行く。二番は「山の古巣へ、行ってみてごらん」というのだが、森繁さんの表情が一瞬こわばった。舞台に出ていて、セリフが思い出せずギクリとしたような感じの顔だった。なぜそんな顔をしたのかが、すぐわかった。森繁さんは「まるい目をした、いい子だよ」という歌詞にぶつかって、困ったなと思ったのであろう。しかし、歌は、わずかなタイミングのずれはあったが、「まるい顔した、いい子だよ」と歌われたのである。

など「ちょっといい話」は続くのである。
面白みというのは軽妙であらねばならない。そこにはウイットとペーソスがあり、文学的素養がひそみ、言葉がかもす洒落た味がなければならない。
 そんな軽妙洒脱な「ちょっといい話」。戸板康二のこの本が古書店でたったの百円で売られていたとはお釈迦様でも〜いやさお富!じゃなかった、ご本人でも知るまい。
 直木賞作家であり、劇作家、評論家の著者が半世紀書き溜めた交遊録からの最高傑作である。