五月の第二日曜日は「母の日」だ。
企業内に保育設備を設ける会社がふえた。そして「子育て支援」という言葉も日常のものとなりつつある。しかし、現実はまだまだ働く母の味方となる社会ではなさそうだ。
元新聞記者で歌人の松村由利子さんも働くシングルマザーであった。
そして今は亡き詩人の吉原幸子さんも離婚して子どもを自分の母に預けてひとり別に住み仕事に打ち込んでいた女性であった。
世代は違うものの、この二人の作品から「働くお母さん」を読んでみたいと思う。続・吉原幸子詩集 (現代詩文庫) 吉原 幸子 思潮社
『吉原幸子詩集』(現代詩文庫56)思潮社刊
「幼年連祷 」から
子へ
おまへを置いて/さまよっているとき/乳母車が いちばん おそろしかった/
わたしは おまえをおそれていた/ わたしが罰せられることをでなく/ おまへが 裁くべき神であることを
裁くのが 見知らぬ群れであってほしかった/石を投げるのが 憎しみであってほしかった/ゆるす神 ほほえむ神は おそろしかった/
ただ罰せられたいときがある/いはれなく 憎しみのつぶてを/いしごろものように 噛んでたべたいときがある/
団地の庭に/乳母車だけは おそろしすぎた/やさしいつぶては たべられなかった/遠まわりして わたしは逃げた/
子どもを預けて働く母にとって道で出会うよその子の乳母車をみる時ほどつらいものはない。逃げるような気持ちになる。
裁くのが 見知らぬ群れであってほしかった/石を投げるのが 憎しみであってほしかった/ゆるす神 ほほえむ神は おそろしかった/
は胸をぐさりと刺されるようで痛い部分だ。
子どもをあずけて働きに出なければならない母親の身を切られるようなせつなさ、うしろめたさが伝わってくる。
特に吉原幸子はお子さんと一緒に住んでおらず、育児を事実上していなかった分、そのせつなさとうしろめたさが「やさしいつぶて」=乳母車が自らをを裁くものとして心をさいなんだのだろう。
では短歌の世界を読んでみよう。
歌人である松村由利子も新聞記者として働くシングルマザーでもあった。
第一歌集『薄荷色の朝に』短歌研究者から「小さき家族」より
・舌を焼く珈琲飲みて子を忘れん苦きを苦きと思わぬ職場
・母の気分は通勤電車に揺られつつ血糖値のごと下がりゆくらし
「絵本」より
・三歳の「世界で一番大好き」をわが盾として職場に向かえ
・愛それは閉まる間際の保育所へ腕を広げて駆け出すこころ
一首目は家に残した子ども、それは熱を出して臥せっている場合もあるだろうし、後追いする子の姿だったりする。そんなわが子を忘れようと舌を焼くほど熱い珈琲を飲んでみる様子は痛々しく二首目は後ろ髪引かれながらも職場に赴く気分を「血糖値が下がりゆくらし」とあらわしている。
一 方、三首目は苛烈な職場に赴くお母さんが玄関を出るときの鬨の声のよう
それも三歳の“「世界で一番大好き」を盾として”がほほえましく、世界で最強の「盾」を持つものの誇らしくも勇ましい気持ちが背中を押して「いざ出陣!」と鬨(とき)の声をあげるのは、赴く先が苛烈な職場であるからに違いない。
そして最後の一首。
やっと労働を終え、一番最後のお迎えとなってしまった母が一目散で子どもが待つ保育所へ駆け寄るこころはまさに「愛」。いとしさの極みの抱擁が想像される。
松村由利子の歌は同じような思いで胸を痛くした「働くお母さん」の声がそこには詠われていて深い共感をおぼえる。
また同じ思いを経験していなくともその胸中はまっすぐに伝わる。
先にあげた『薄荷色の朝に』は第37回短歌研究新人賞受賞の第一歌集である。
詩人 吉原幸子と歌人 松村由利子。この両者の作品から「働く母」の心を読んでみたけれど、母子の愛というものは普遍なものでどんな世でも、どんな世代でも、読み継がれていくものだろうと思う。
短い詩形のなかにこめられた母が子を思う心は読む者の心にまっすぐに伝わって感動する。