飛翔

日々の随想です

読書とぬか漬け

床から天井まである書庫の棚には、本がもう入りきれない。もう買わないと思っている端から買っているのだから始末に終えない。さらに古本屋を何軒もあさり買い求める。さらに手に入らない本はネットであさり買う。そして図書館で借りる。
 一ヶ月前から読み続けている作家の本を図書館へ返しにいった。返す手続きをすませたとたんに同じ本を又借りる。つまり自分の本なら線を引いたり、付箋をつけたりできるが、借りた本はそうはいかない。読み終えても、まだ手放せずに又借りる。今日はとうとう図書館の内部に所蔵されている本まで借り出した。
 一人の作家の全著作を読みたくて、古書店で求め、本屋で買い、図書館で借りてと、読み継いでいる。
 さらにこの作家について書かれたものまで読もうというのだから大変な執心といえよう。
 まるで卒論でも書く勢いで読んでいる。その一方で疲れた頭を休めようと他の作家の本も読むのだから一日が読書で埋められているようだ。
 主婦業はやっていないのだろうと言われそうだ。はい。やっていません。しかし、三食作らねばならないし、洗濯も掃除もせねばならない。食事は何よりも私の楽しみなのでこれは手抜きをなるべくしないようにしている。この時期おいしい茄子やキュウリのぬかみそ漬けは毎日何回もかき回している。ぬか床だけは手抜きをすると、とたんにご機嫌が悪くなるので決して手抜かり無くやらねばならない。毎日かき回しながら、ぬか床と会話をする。
 「今日のご機嫌はいかがでしょうか?」
 「こう暑いと気分がむしゃむしゃするわ」 
 とぬか床はおっしゃる。
 そこで余分な水分をとり、卵の殻を砕いていれ、唐辛子をいれ、ぬかを足してかき回す。
 「これでいかがでしょうか?」
 「何でも足せばいいって思っているんでしょう!」
 とまだ不満げである。
 気温が高くなるとさすがに冷蔵庫にぬかみそ様をお入れする。
 浅漬かりのぬか漬けほどおいしいものはない。うすい塩味に微妙な甘みが舌にのる、しゃきしゃきとしたキュウリの歯ごたえと音が味覚をさらに刺激する。ぬかみそ様に敬意を表したくなる瞬間である。
 つけものと言っても幅広い。ちょっとおつなものと言えば卵の黄身を味噌につけたもの。出来たらうずらの卵が良い。
 これは黄金のチーズという趣がある。味噌床にうずらの卵の黄身が入るくらいのくぼみをつけておく。そこへ黄身をしずかにくずさぬよう入れ数日漬けておく。するとチーズか、からすみのような味の極上品が完成。
 「ぬかみそくさい」という形容があるが、おいしいぬか床というのは香気がしてけっしてくさくない。それは主婦が心をこめて毎日何回もかきまわし、調整をし丹精がこもっているのである。
 清潔を保ち、水気の有無を調整し、塩加減、発酵具合を長年の経験でみる「お母さん」の味が絶妙な個々の味となるのである。
 「ぬかみそ女房」は最高の称号。
 上品にもりつけるのもよし、素朴な鉢にどんと盛るのもよし。それは食卓の上の「母さん」の顔でもある。
 舌の上で塩味に微妙な甘い香味を感じとるならば、もうあなたはブリア・サヴァラン 。
 「ぬかみそくさい」などと言うなかれ。ぬか漬けは日本の最高傑作なのであるから。
 読書からぬかみその話に飛んだが、読書も漬物もとっぷりと漬かった後には極上の味わいを得るものである。