飛翔

日々の随想です

牡丹とフランス語と俳句


その昔、夏休みの宿題に田山花袋の「蒲団」を英訳してこいというのがでた。
翻訳とは何と難しい物かと実感した。英語以前に日本語を熟読玩味しないと訳せない。
しかも作者の文体、作風を殺さないようにするなんて事は至難の業だと思った。
しかし翻訳によって世に広く文化を伝えられ影響しあうことは素晴らしい。その一例がこうだ。
Seule dans la chambre
Ou il n’y a plus personne
Une pivione
ただ一人、
はや誰もいない部屋に、
一輪の牡丹

突然フランス語が登場して面食らったことだろう。あるいは訳を読んで一目でぴーんときた人がいるやもしれない。
先ずはフランス語のシラブルを数えて頂きたい。そう。五、七、五。17シラブルになっていることに気づくだろう。
これはフランス人、ポール=ルイ・クーシューが与謝蕪村の句
「寂として客の絶え間の牡丹かな」
をフランス語に翻訳したものである。
このクーシューの翻訳はリルケの目に留まった。
そしてリルケはこれをスイスの画家に書簡で紹介している。曰く、
「俳句はばらばらな要素が出来事によってまたそれが喚起する感情によって結合される」とある。またこのクーシューのフランス語訳はイギリスの詩人フリントによって英語に重訳され、バーナード・ショウやH・G・ウエルズらが寄稿している「ニュー・エイジ」に紹介され広まった。しかしそのときは有季定型の17シラブルという制約は消えてしまっていた。曰く;
Alone in a room
Deserted―
A peony.

俳句はなぜ欧米人の目をひいたのだろうか?世界で最も短い詩形だからであろうか?
そうではなさそうだ。リルケが看破したように俳句の「切れ」すなわち不連続な異なるイメージの離接的なつなぎにあるのであろう。
かくして、クーシューのフランス語訳、リルケの紹介、フリントの英語の重訳からと伝搬した俳句は欧米でも愛されるようになった。
そして今や欧米の学校の授業で俳句はとりあげられているとか・・

俳句でも和歌でも浮世絵でも、海外の詩人、画家に影響を与えたことがわかる。
日本人の文化は捨てたものじゃない。それどころかむしろ各分野に多大な影響を与えたことを誇るべきかもしれない。