飛翔

日々の随想です

蚊を疵(きず)にして五百両


  俳人宝井其角はこんな句を詠んでいる:

夏の月 蚊を疵(きず)にして五百両

 これは宋の詩人<蘇東坡>(そとうば)の漢詩「春夜」から思い立った俳句である。
 先ずは<蘇東坡>(そとうば)の漢詩「春夜」を詠んでみよう。

 「春夜」

 春宵一刻直千金     (しゅんしょういっこく あたいせんきん )
 花に清香有り月に陰有り (はなにせいこうあり つきにかげあり)
 歌管樓臺聲細細     (かかんろうだい こえさいさい )
 鞦韆院落夜沈沈     (しゅうせんいんらくよるちんちん)

 春の夜の一刻は千金の値打ちがあるほど素晴らしい。
 花には清らかな香りが漂い、月はおぼろにかすんで見える。
 先ほどまで歌声や笛の音がにぎやかだった高殿も、今はすっかり静かになり、
 ぶらんこのある中庭に、夜は静かにふけていく。

 という意味の詩だ。
 <蘇東坡>(そとうば)の詩を知ったうえで詠んだ宝井其角の俳句は機知に富んでいて実に面白い。つまり春の宵というのは千両の値がすると宋の詩人はいうけれど、夏の夜の月も同じように雅(みやび)やかである。しかしいかんせん蚊の奴がぶんぶんとうるさくてかなわない。せっかくの大きくて明るい月だけれど、これでは千両から五百両を引かずばならないだろうなあ!おー!せっかくの美景なのになんてってこったあ!!!
 というところだろうか。
 同じようにせっかくの美人も蚊に刺された痕だらけでは魅力も半減するということだ。
 私も気をつけねばならない。
 え?美人って誰かって?野暮な質問をするから蚊に刺されてしまったではない蚊!