飛翔

日々の随想です

蚊を疵にして五百両

 我が家の庭は今、すごいことになっている。
 雑草だらけでジャングル状態である。
 家の中にはお酒を飲むと虎になる猛獣もいるし、キャンキャン文句ばかり言っているメス猿もいるので、さながらアフリカの奥地のようだ。
 庭のあちこちに排水溝が設けられているが、蚊の温床になる。そこに台所の水きりネットをかぶせて蚊が湧き出てこないようにしてみたけれど、このジャングルでは生息場所はいくらでもある。
 庭から家の中に入るときは家族みんな奇妙なヒップホップダンスを踊る羽目になる。体や服に蚊がくっついてくるのを振り払うためだ。
 夫は全速力で走ってきて家の中に入る。
 そのほかのものは戸の前でヒップホップを踊りながら体に引っ付こうとする蚊を追い落とす。
 愛犬クッキーは外でしか用をたさないので大変だ。用をたすまであちこちをかぎまわって絶好の場所を吟味する。吟味している間に蚊にさされはしないかとはらはらしている私だ。
 結局私が代表で蚊の餌食になる。
 「おまえたち!私の栄養満点の血を吸って高脂血症になってもしらないぞ!」と蚊を恫喝(どうかつ)する。恫喝にもめげずに蚊はひっついてくる。よほど私は魅力的なのだろう。無理もない。自分でもそう思うぐらいだから。
 用をたし終わった愛犬が部屋に入るまで、私はヒップホップを踊って蚊を追い払う。それを家の中から家族がみてげらげら笑う。
 そんなまぬけな私だが、夏の夜、庭に出て月を愛でるのが好きだ。
 俳人宝井其角はこんな句を詠んでいる:
 夏の月 蚊を疵(きず)にして五百両
 これは宋の詩人<蘇東坡>(そとうば)の漢詩「春夜」から思い立った俳句である。
 先ずは<蘇東坡>(そとうば)の漢詩「春夜」を詠んでみよう。
 「春夜」

 春宵一刻直千金     (しゅんしょういっこく あたいせんきん )
 花に清香有り月に陰有り (はなにせいこうあり つきにかげあり)
 歌管樓臺聲細細     (かかんろうだい こえさいさい )
 鞦韆院落夜沈沈     (しゅうせんいんらくよるちんちん)
春の夜の一刻は千金の値打ちがあるほど素晴らしい。
 花には清らかな香りが漂い、月はおぼろにかすんで見える。
 先ほどまで歌声や笛の音がにぎやかだった高殿も、今はすっかり静かになり、ぶらんこのある中庭に、夜は静かにふけていく。

 という意味の詩だ。
 <蘇東坡>(そとうば)の詩を知ったうえで詠んだ宝井其角の俳句は機知に富んでいて実に面白い。
 つまり春の宵というのは千両の値がすると宋の詩人はいうけれど、夏の夜の月も同じように雅(みやび)やかである。しかしいかんせん蚊の奴がぶんぶんとうるさくてかなわない。せっかくの大きくて明るい月だけれど、これでは千両から五百両を引かずばならないだろうなあ!おー!せっかくの美景なのになんてってこったあ!!!
 というところだろうか。
 同じようにせっかくの美人も蚊に刺された痕だらけでは魅力も半減するということだ。
 私も気をつけねばならない。
 え?美人って誰かって?
 野暮な質問をするから蚊に刺されてしまったではない蚊!