飛翔

日々の随想です

美味礼賛

美味礼讃 (文春文庫)
海老沢 泰久
文藝春秋

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辻静雄は日本のブリア・サバラン。いや、今やそれ以上。いまや世界の辻静雄と言っても過言ではないと思う。
本物のフランス料理をわが国に最初にもたらした人、それが辻静雄。その辻静雄をモデルにした伝記小説が本書である。
昭和三十年半ば以前のわが国にはフランス料理はなかったというと「え?」と驚くだろう。当時はフランス料理というと舌平目のムニエルやステーキがそれだと思われていた。
しかもいい加減な料理法でのこと。
アメリカ人の書いた料理の本を読んだ辻静雄は、日本のフランス料理と称するものとの差に愕然とし、著者に会いにアメリカへ。そこからさらにツテを頼って妻とフランス料理の真髄を知る為に三十年もフランス全土のレストランを食べ歩くことになる。
読むほどに読者も生唾を飲みながら食通の道をひた走り、ポール・ボキューズ氏や名だたるシェフとの温まる交流に、国境を越えた人間と人間の触れ合いの確かさに心まで満ちてくるのである。
辻静雄の凄いところはフランス料理を体系的に学び広めたところだ。三十年もかけてフランスの一流レストランの料理を食べ歩き、その味を舌におぼえさせ、記憶させ、それを自分の料理学校の教員にあまねく教えたことだ。それまで料理は出し惜しみする料理長から盗んで覚えたものだった。それを惜しげもなく全て教え、書物として刊行し、正しいフランス料理を広く日本の料理界に啓蒙していった。
辻静雄という人物の真摯な人柄はフランスのシェフ達にも愛され多くの応援や交流がなされたことはこの小説を温かいものにしている。
最後に本書を書いた海老沢泰久氏の弁によれば、本書を書き上げるのに二年を要したと言う。書くにあたり辻氏から料理の知識を指導してもらい、辻氏が練った計画書のもと、フランスの三ツ星レストランの料理を一週間昼夜食べ続けたというから念が入っている。
まさに「美味礼賛」。『美味礼賛』は世のグルメの方々にも、そうでない方にも楽しめる極上の一冊。
おいしい料理の数々に生唾を飲みながら遠くフランスとフランス料理に夢を馳せるのも悪くはないものだ。また料理人でもない一人の男がフランス料理に生涯を賭け、研究し、文献をあさり、その全てをわが国の料理界に捧げる生き様からは多くのことを得ること必至である。