飛翔

日々の随想です

英文学入門

本書は福原麟太郎が外務省研修所で講演したものである。
講演と言っても堅苦しくなく、自由闊達、縦横無尽に英文学を語ったもので、英文学の組織、思想、技術、シェイクスピア、ジョンソン、英国的笑い(チャールズ・ラム)などが主たるものである。
本書が面白く実のある内容なのは、福原氏自身が英文学を楽しんで愛して語らないではいられないという雰囲気が溢れているからだ。

著者は文学は歴史的存在であるとし、先ずはシーザーの頃、アルビヨン(白い国)と呼ばれたローマ領の島(英国)から話をはじめる。
土着民であるケルト人をローマ人が領し、やがてアングロ・サクソンが移住してきて、ケルト人をウェールズスコットランドアイルランドへと追いやる。その後ノーマン文化が駆逐して、英国は国語を失う。そして14世紀になって英文学は再出発し、近世文学のはじまりとなるのであるが、わが国では鎌倉幕府の頃であり、11世紀にはもうすでに源氏物語があったのであるから、わが国の文学史から比べるとはるかに遅いものであった。話はやがて文学の形式や作品について語られるのであるが、19世紀のロマン主義の終焉の項では、著者の漫談口調は熱が入る。
1832年は3人の有名人が亡くなった年とあり、スコット、ゲーテ頼山陽とするのはよいとして、ねずみ小僧が、はりつけになった年と加えているのは爆笑。

さて、次に英国人気質について述べる項では「執着心」をあげる。
英国人のしつこさを武者小路実篤の随筆から宮本武蔵の例をあげて説明するのであるから度肝を抜かされる。
●武蔵がお屋敷の廊下を歩いていると、後ろから斬りつけられた。すぐに身をかわした武蔵は刀を抜いて殺すかと云うとさにあらず。みね打ちで何回も叩いたというのであります。剣劇で知っている武蔵だと一刀のもとで斬って悠々と立ち去るところが、二度も三度も実にしつこく叩いたといいます。
英国人と云うのはそういう様なもので一遍でさっと斬れ味のよいところを知らない。

英国人気質を武蔵を引き合いに出すとは驚き桃の木山椒の木である。
さて、ここからいよいよチャールズ・ラムの文学を取り上げて、イングリッシュ・ヒューモアーへとつなげていくのである。

●ラムは馬鹿者列伝を書いて、その中で実は私は馬鹿が好きだという。なぜなら人間はみんな馬鹿だからだというのです。
馬鹿な人間がしくじったって当たり前。人間は馬鹿だという立場に立つとみな同じである。諸行無常のような価値に換えて考えればどんなしくじりも帳消しになってしまう。それをヒューモアーと言う。
つまり武蔵のところで述べたしつこい執着から逃れるべく諸行無常というヒューモアーをもってなしたのが英国人気質であり精神だとしている。
さて次に英語辞典を編纂したジョンソンに話が入るとさらにヒートアップする。
当時文学者にはペイトロンがついていてその援助なしには生きていけない状況だった。
それがこのジョンソン博士、英文学の古典と考えられる有名な拒絶の手紙をペイトロンにつきつけた。
この手紙事件により、英国文学の歴史上、文学者がペイトロンと袖を分かち、文学の独立、文筆業者の独立を果たした最初の人になったくだりは、読んでいて胸がすくようで実に小気味良い。

このほか、漱石の「文学論」や孫悟空水戸黄門まで引き合いに出しシェイクスピアジョイス、ジョンソンを語り、英文学を縦横無尽に語り、それが極上の人生論につながるのであるからこんな面白い「英文学入門」書は類をみない。
福原氏からほとばしりでる伸びやかな知と学識と人間性が混じって実に楽しい書となっている。