飛翔

日々の随想です

夏の庭

夏の庭―The Friends (新潮文庫)
湯本 香樹実
新潮社

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薄い本なのに実に良い本であった。
登場人物は六年生の三人の少年たちと老人である。
喧嘩しながらも呼吸がぴったりあう三人の少年、木山、河辺、山下。
この物語は木山である僕が語り手となって進んでいく。
木山は両親の関係がぎくしゃくしているようで母親はアルコールばかり飲んでいる。肥満児の山下は魚屋の息子、河辺はメガネがないと歩けないほどの近眼で母親だけの家庭。父親は離婚してほかに家族がいる様子。
山下のおばあちゃんが亡くなり学校を休んだことがきっかっけで河辺、木山の二人の少年は人が死ぬということはどんなものか知りたいと思うようになる。
少年たちの家の近くに古びた平屋の家があり、そこにひとり暮らしのおじいさんがいて、どうやらもうすぐ死にそうだという噂を聞いた少年たち。
あろうことか少年たちはこのおじいさんが死ぬ瞬間を観察したいと思うようになり、見張りを続ける。一日中、コタツにはいってテレビをみつづけている生きるしかばねのようなおじいさんは、少年たちの見張りに気付いてから日に日に元気になる。
いつしか少年とおじいさんの不思議な交流がはじまり、僕(木山)はこう思うようになった。
死ぬということは息をしなくなることだと思っていたけれど、それは違う。生きているのは、息をしているってことだけじゃない。それは絶対に違うはずだ
またあるときはおじいさんの庭の花にみずやりをしていたとき、虹ができたのを見てこう思ったのである。

虹はいつもみえないけれど、たった一筋の水の流れによって姿を現す。光はもともとあったのに、その色は隠れていたのだたぶん、この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう。虹のように、ほんのちょっとしたことで姿を現してくれるものもあれば、長くてつらい道のりの果てに、やっと出会えるものもあるに違いない。僕が見つけるのを待っている何かが、今もどこかにひっそりと隠れているのだろうか
と云う風に少年たちはおじいさんとの交流の中からいろいろなことを考え答えをみつけていく。
からだはあとかたもなく消えてしまっても思い出は空気の中を漂い、雨に溶け、土に染みこんで、生き続けるとしたら。。。いろいろなところに漂いながら、また別のだれかの心に、ちょっとしのびこんでみるかもしれない。時々、初めての場所なのに、なぜか来たことがあると感じたりするのは、遠い昔のだれかのいたずらなのだ
失われ行く命の行く末と、決して失われないものがあることを「死」を通して学んだ少年たちのひと夏の物語だった。

この物語は死を通して多くのことを学びました、「はい終わり」でないところが良い。つまり死は人間の終止符であるという物理的なことでなく、少年たちがこれから経験するであろう人生の苦難に対して「亡き人=死」を自分の心の支えとして立ち向かおうとする「力」をあたえたところにある。
人は愛するものの死に慟哭するが亡き人はこの物語のように自分の心の礎(いしづえ)として不滅の命を得るものなのだ。
読み終わってこんなにすがすがしく心が洗われたことは久しぶりのように思った。
※この作品は映画化され舞台化されたとか。10カ国以上で刊行が決まり、日本児童文学者協会新人賞、児童文芸新人賞、米国バチエルダー賞、ボストン・グローブ=ホーン・ブック賞を受賞した作品。

読了に一日もかからなかった薄い本であるけれど、どんな長編よりも心に深く感動を与えた本だった。