飛翔

日々の随想です

向田邦子ふたたび

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 向田邦子の突然の死を偲ぶ追悼の文が寄せられたものだ。
 筆頭は山口瞳による「向田邦子は戦友だった」
 
直木賞をとらなければ、写真集を出そうなんて物好きな出版社もなかったろうに・・・」というテレビのほうの人の談話があった。その人は、こうも言っている。「バカな死に方をして!」
 私もそう思う。その通りだと思う。そう思うのだけれど「直木賞をとらなければ」という言葉には辛い思いをした。

という詠嘆にも似た文からはじまっている。
 向田邦子直木賞をとるかどうかという選考委員会の委員であった山口瞳芥川賞の選考委員である丸谷才一に、こんなことを言われた。「選考委員になっていちばん辛いことは、候補者に自分よりうまい人がいるときね」。

山口瞳はそれをうけて
向田邦子は、あきらかに、私より上手だった。その向田邦子が落ちそうになっている。私に衝撃を与えた数少ない作品のひとつである「かわうそ」が落選しそうになっている。
志茂田影樹と向田邦子が候補に残って争っていたときの模様だ。水上勉の一言が空気をかえた。『オール読物』の編集長、豊田健次が司会。そのとき山口瞳が「向田邦子はもう五十一歳なんですよ。そんなに長く生きられないんですよ」と言ったのだった。若く見える向田邦子が五十一歳だとはみんなきがつかないでいた。三十代半ばまでに直木賞を受賞するのが理想とされていた。この発言はカウンター・パンチのような効果をそうし、二人の候補者がダブル受賞したのだった。
 記者会見のとき山口瞳は「向田邦子さんという人は、私より小説が上手です」「それから随筆も私より上手です。いやんなっちゃうねえ」と言ってドッという笑い声が湧き上がった。
 そんないきさつがあった直木賞選考委員だった。
 妹の向田和子さんが経営する「ままや」で通夜の酒肴が供され、そこで山口瞳は「戦友」を歌った。
 「お姉ちゃんは私の戦友でした」と山口は遺影を指して向田和子さんに言った。
 ♪肩を抱いては口ぐせに/どうせ命はないものよ/死んだら骨を頼むぞと/言いかわしたる二人仲
そこにいた一同は絶句し、何かに耐えるような顔つき、目を泣き腫らしたものたち
 山口瞳はかろうじて次の歌詞を思い出した。
♪思いもよらず我一人/不思議に命ながらえて  ・・・・・
赤い夕日の満州に友の塚穴掘ろうとは・・・・

山口瞳をして「小説も随筆も自分より上手い、こまっちゃうねえ」と言わしめ、山本夏彦は「突然あらわれてそれなのにすでに名人である」と言わしめた人。それが向田邦子であった。
 親友の植田いつこさん、そのほか多くの人の向田邦子の在りし日を偲ぶ追悼の文に読みながら涙が落ちてしまった。
夭折した向田邦子さんを惜しむ人は本当に多い。