飛翔

日々の随想です

『「奥の細道」の顛末』

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」で始まる『奥の細道』は、人生すなわち旅とした”旅の詩人”芭蕉が到達した生涯の代表作といえる。

この芭蕉の研究家であり、近世文学、特に俳諧史を専門とする櫻井武次郎さんが惜しくもちょうど二年前にお亡くなりになった。櫻井武次郎さんは1990年、古本屋で芭蕉の直筆『奥の細道』を発見。慎重に真贋を見極めた末、1996年に発表。

その騒動顛末記を上梓された。その本を古本屋で入手。
櫻井先生の著書『奥の細道行脚 (曾良日記)を読む』(岩波書店)と併読しようと思う。

奥の細道にかかれたものは「実」と「虚」と併せ持っており、それを区別することは困難である。しかし、芭蕉の奥羽北陸行脚については、随行した弟子の曾良の日記が残っている。その曾良日記から芭蕉の「奥の細道」を読もうとする読み解きが上記の『奥の細道 (曾良日記)を読む』(岩波書店)である。

櫻井先生の渾身の本二冊『「奥の細道」の顛末』(PHP研究所)『奥の細道 (曾良日記)を読む』(岩波書店)をこれから少しずつ読んでいくつもりだ。

この地味な本の奥付のところに先生がお亡くなりになった訃報を知らせる新聞記事が切り抜いて貼られてあった。前の持ち主が切り抜いたものだろう。

古本を購入するとこうした前の持ち主の痕跡をみることがある。

父がアメリカに赴任していた頃、和紙と水墨画の簡単な用具を携えて行く先々でスケッチしたものがある。
それは水墨画で描かれたアメリカ旅日記であった。
日本へ帰ってからそれを自分で器用に和とじ本にした。

なかなか味があり、珍しい自作の和とじ本となった。

文字で旅情を描くということはなかなか難しい。
文字多きことは冗漫になりがちだ。
それを短い詩形である俳句や短歌を用いるという発想は日本ならではのこと。
歌人松村由利子さんが短歌の魅力を「小さな瓶に自分の気持ちをぎゅっと詰めたようなもの」と表現しているが、まさに言い得て妙。

旅情と心情をあわせて俳句や短歌という瓶に圧縮してしまう妙を私たち読者は解凍するという至福を持つのであるから日本文学の妙味ここにありといえるだろう。