飛翔

日々の随想です

「Pity's akin to love」

パンジーは三色菫とも言う。
菫で思い出すのがあの漱石の句。

・菫ほどな 小さき人に生まれたし(明治30年)漱石
これはどうとればよいのだろうか?道にひっそりと咲く小さな菫。
小さな存在だけれど懸命に咲くスミレほど愛らしいものはない。
漱石はあれほど才能があったけれど、小説家としてスタートしたのは37歳のとき。そして49歳で亡くなった。
東大を首席で卒業し、イギリスに留学し、大学講師をしたけれど、どれも自分がなりたいものではなく呻吟する。
37歳でやっと小説家になった漱石。悩み多き人生だったのだろう。
目立たなくても良い、ひっそりと自分の力を尽くす人生でありたいと思ったのだろうか。

さて、この漱石は英文学の教授であった。こんなエピソードが:
"I love you."を学生に和訳させた。
「汝(なんじ)を愛す」などとぶっきらぼうに真っ正直に学生は訳したのではないだろうか?
そこで漱石曰く:

「日本人はそういう無粋なことは言わないものだ。日本語では"I love you."は『星がとってもきれいだね』と訳すのだ」
と教えたそうです(笑)。

おお!なんと粋なことでしょう。
何と言っても漱石は『三四郎』でこう粋なことを言わせている。

三四郎の友人の与次郎が、ある英語を日本語に翻訳したところ、広田先生に「下劣だ」と言われ、みんなに大笑いされる場面です。そこへ、三四郎の先輩の野々宮さんがやってきます。

 野々宮さんはにやにや笑ひながら
 「大分賑やかな様ですね。何か面白いことがありますか」
 と云つて、ぐるりと後向に縁側へ腰をかけた。
 「今僕が翻訳をして先生に叱られた所です」
 「翻訳を? どんな翻訳ですか」
 「なに詰らない―可哀想だた惚れたつて事よと云ふ んです」
 「へえ」と云つた野々宮君は縁側で筋違に向き直つた。
 「一体そりや何ですか。僕には意味が分らない」
 「誰にだつて分らんさ」と今度は先生が云つた。
 「いや、少し言葉をつめ過たから―当り前に延ばすと、斯うです。可哀想だとは惚れたと云う事よ」
 「アハヽヽ。さうして其原文は何と云ふのです」
 「Pity's akin to love」と美禰子が繰り返した。美しい奇麗な発音であった。
  (『三四郎』 第4章の後半部分より)

何と粋なことでしょう!
「同情から愛」などと無粋に訳すよりはるかに粋ですよね。

さてさて、前の文章に戻って、みなさんだったら「I love you.」をどう訳しますか?