飛翔

日々の随想です

深いミゼールとは?

未曾有を「みぞゆう」と読み、「怪我」を「かいが」と読んだり「踏襲」を「ふしゅう」と読むことが頻繁(ひんぱん)(決してはんざつとはよまない)な、味噌と醤油をまぜたような人をトップに掲げるわが国はいつまでも決断できない政局となったが、やっと解散にまでこぎつけた。

核兵器の被害にあった唯一のわが国。
今回のG8首脳会談で「核不拡散」を提唱したのはわが国の首相でなく、核を落としたアメリカのオバマ大統領だった。
究極的な核廃絶を唱えたオバマ大統領。
しかし、北朝鮮などの核の脅威に対抗するためには核抑止力をもってするという「核の傘」を維持するというダブルスタンダード

わが国の首相は「チュウ」とも発言しないまま。
発言しないほうが失言するよりはましかもしれない。

かつて麻生さんは「健康な自分が病気ばかりする人の為になぜお金を払わなければならないのか?」と真剣に言った。
健康な者も病気の人も等しく助け合うという健康保険の成り立ちを知らない物言いである。
誰も病気になりたくてなるものはいないのである。
健康に留意していても病気になる。
スポーツ選手のようにスポーツに汗を流している日々の人も病気になるのである。
人の痛みがわからないばかりか、漢字も読めない、健康保険の論理も知らない人をトップにしているわが国。
かつて犬養道子のエッセイ『お嬢さん放浪記』(中央公論社)にこんな文があったのを思い出す。

ベルギーの北からオランダのリンバーグにかけての炭田での出来事。
中世期の半ば、ここで最初の炭鉱夫になって地下に降りたのは付近の修道僧たちだった。炭鉱のつらさを体験し炭鉱夫の生活の水準を上げることを生涯の事業とした彼ら。司教はまず強力な労組をつくった。炭鉱夫一人一人にめいめいの住宅を持たせ、舗装道路をしき、通勤バスを走らせ、病院やサナトリウムをつくり託児所を作った。

さて、その司教がはじめてこれらの案を作って国会に提出したとき、社会党キリスト教民主党も、党派や思想をこえてこの案に賛成し、協力をおしまなかったそうだ。
「オランダ人は公共善のためと思えば、反対の立場にある人を助ける」
と何気なく言われた著者。
著者の犬養道子はその時「私は日本の政治の現状を痛いほど反省させられた。「公共の善のため」この考えが徹底どころか、まだ生まれていない日本の政治の貧しさを。
さらに文はこう続く:
組合長はこういった。
「炭鉱夫の幸福と、彼らの生活安定と向上、それを心から願い、その願いを炭鉱夫たちといっしょになって現実のものにするために、必要なのはただ一つのことだと思います。それは我々一人一人が隣人愛の精神に生きることです」と。

するとそばにいた韓国人の学生が犬養道子にこういった。
「アジアとは哀しいところですね。国土が狭い、貧しい、それはたしかにミゼールですよ。しかし、隣人愛の足りないことや、人民に希望の光を与えてやれない政治の貧しさや党派の争いは、もっと深いミゼールですね。アジアにはそういう深いミゼールがまだいっぱいなんですね」と。

この著書は1978年初版である。
つまり今から30年も前の出版なのである。

30年経った今でもこの言葉たちは決して古くなく、その真実も変わらないという嘆かわしさに驚きと怒りを禁じえない。

以前にもこのことはブログに書いた。

選挙を前に人気者を引っ張り出して党の顔にしようと画策するおろかしい政治家。
こんな政治家にわが国を任せておくとどうなるのだろうか?

国民も今まで選挙のとき、青春スターだから、漫才師だから、ゴルフプレーヤーのお父さんだから、などと名前が知られていることだけで選んだ人たちがいた。
選ばれた漫才師はうれし泣きをしながら、「これから勉強させてもらいます」と言っていた。国民の税金で一から勉強してマスターした頃にはその任を解かれる。
こんなことでよいのだろうか?不人気な党派を隠して無所属を標榜して当選した青春スターもいた。
税金を湯水のように無駄遣いしていることを正せないような政治は腐敗している。

積み立ててきた年金がもらえないようなことは国がするサギである。
30年も前の領収書を持ってきたら払ってやるといわんばかりの年金制度はおかしいではないか!
国民は今こそ国を憂い正しい政治のあり方を考えようでではないか。