飛翔

日々の随想です

広島原爆投下から67年と「生ましめんかな」


( 広島に投下された原爆によるきのこ雲)
八月六日の今日。広島原爆投下から67年が過ぎました。
 世界で唯一の原爆被爆国のわが国で、原子力発電が推進され、地震列島のわが国に原発が多数建設された。
 そして福島第一原発の爆発により、広島原爆二十個分の放射能が漏出されたといわれている。いまだに情報の公開が100パーセント行われているとは言えない状態。補償もされず、風評被害も甚大であり、人為ミスともいえる稲わらの放射能汚染により、牛肉が出荷停止となった。
 原子力の平和利用が叫ばれるが、一度核分裂した原子核は人間の手には及ばないもの。原発から排出される放射性廃棄物の処理場が少ない中、次々と原発が建設された。
 世界で唯一の被爆国であるわが国から原発事故が起き、地球規模の放射能汚染が起きている。
 今、ここで世界中が原子力について考えるべき時がやってきた。それは遅いぐらいだ。被爆国であることを忘れたような所業である。
 日本は戦後67年が過ぎ、被爆者たちの生存数が少なくなってきている。
語り継ぐべきは我々である。
唯一の原爆被爆国の日本がその惨状と恒久平和への希求をあげないで誰がするというのであろうか。

(現在の原爆ドーム)
広島で被爆した栗原貞子さんの「生ましめんかな」の詩を今こそ詠もうではないか。

  

生ましめんかな
       原子爆弾秘話

こわれたビルデングの地下室の夜であった。
原子爆弾の負傷者達は
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめていっぱいだった。
生臭い血の匂い、死臭、汗くさ人いきれ、うめき声。
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と云うのだ。
この地獄の底のような地下室で今、若い女
産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりでどうしたらいいのだろう。
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」と云ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

栗原貞子作)

大量破壊兵器がもたらす残虐。
己の命を捨てるとも新しい命に希望を託す重傷者の誇りと人間として気高さと強さ。
私達はこの詩を決して忘却の彼方に追いやってはならない。