飛翔

日々の随想です

『打たれ強く生きる』

「気骨の人」作家の城山三郎さん没後17年が経った。
 一橋大学在学中に、名古屋市内の図書館で見初めた人が奥様の容子さんだった。
 初対面の印象を「天から妖精が落ちてきた感じ」と言う。
 愛妻をがんで亡くした後、綴った『そうか、もう君はいないのか』には出会いから癌で死別するまでがつぶさに綴られている。
 今日は、今苦境にある人、人事に悩む人、岐路に立たされている人などに読んでほしい書『打たれ強く生きる』を紹介しようと思う。
 再掲載の書評である。

打たれ強く生きる (新潮文庫)
城山 三郎
新潮社

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百年に一度の大不況と云う言葉がどんどん歩き出し、加速度を増してきた昨今。
働けど働けどワーキングプアの状況だったのが、今やそれを越えてリストラの風と就職氷河期を迎えた。
そんなビジネスマンの悲哀を誰よりも知る男、城山三郎氏が先般お亡くなりになった。
追悼城山三郎の名の元に新潮文庫が四十四刷目の本『打たれ強く生きる』を刊行。


一国一城の主、つまり企業の社長となった人たち、あるいはその道のトップとなった人たちはどんな道を辿ってきたのだろう。
そんな歩みや人生哲学からはサラリーマンだけでなく、普通の人たちにも学ぶことが多いはずである。


そんな事柄を著者城山三郎がいままで接してきた多くの人たちから得たものを我々に描いて見せてくれた。
それは「気骨ある男たち」の真の姿である。
こんな世の中だからこそ城山三郎氏が遺してくれた『打たれ強く生きる』からはさまざまなメッセージを得ることができるのだ。


ではその内容の一端を紹介しよう:
タイトルは「鹿之助の男ぶり」

歴史上、打たれ強い男はだれか」
それは山中鹿之助だと著者は言う。主家尼子家のために、勇戦奮闘するがむなしく尼子は滅ぶ。しかし、鹿之助は滅んだ後もなおあきらめなかった人物である。当時他家からスカウトされた鹿之助。しかし、男の美学はそれを受け付けない。浪々の身の鹿之助が一時明智光秀に身をよせていたときのこと。
家臣の一人と鹿之助は親しくなり、その家に呼ばれることになった。
ところが同じ日に光秀から「風呂をたてるから」と招待された。当時風呂に入るというのは最高の贅沢であり、まして光秀からの招待である。家臣からの招待をキャンセルしてもよさそうなのに鹿之助はそうしなかった。一方断られた光秀も相当の人物。怒りもせず家臣の家へご馳走を届けさせたとのこと。


城山三郎はこのエピソードから鹿之助の美学と「強さ」を感じたという。
つまり「生き方」がはっきりしていて、不動である。
権力や贅沢に心ゆらぐようでは、打たれ強い男になれるはずがない
とこの逸話を締めくくっている。


権力にあぐらをかき、贅沢や供応に心揺らいだやからに読ませたいものである。
この本にはたくさんのエピソードが取材されている。
またサラリーマンだけでなく一般のものにも参考になる話がもりだくさん。


劇団四季浅利慶太氏の話は参考になった。
それは「自分だけの時計を持て」ということ。
人間ひとりひとり皆ちがっている。
だからひとりひとりの人生が違うはずである。
早熟の人もいれば晩成の人もいる。毎日の生活でも、人生の設計でも自分の時計に合わせて生きていくことであると。


そのたとえ話が良い:
山椒魚は地球上の両棲類の最古のもの。そこへ爬虫類が現れ先住者の両棲類は食べられて死滅してしまった。しかし、山椒魚だけは生き残った。なぜか?
それは山椒魚は秋から冬にかけて卵を産む。子育てが難しい季節である。しかし、子どもが成長する時期は天敵となる動物が出歩かない季節でもある。そこで彼らは生き延びたというわけだ。
つまり山椒魚「自分だけの時計を持っていた」から生き延びたのである。
人生にもあてはまりそうなことである。
そのほか心が洗われ、勇気づけられ、励まされる実話の宝庫である。


今苦境にある人、人事に悩む人、岐路に立たされている人などが読むときっと多くのことが得られるだろう。
迷っているときは目の前のことでいっぱいで広い観点から客観的に自分を見ることができないものだ。
そんなとき、魂をゆさぶられる言葉に天啓がひらめく。

「気骨の人」城山三郎氏が静かにあなたに語ってくれる人生のメッセージです。