飛翔

日々の随想です

神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他


 著者はまえがきで本書を「自分の愛する世界」を書きとめたものだとしている。その「愛する世界」とは、古書であり、浮世絵であり、石版画であり、そしてなによりも愛するのは東京下町育ちの著者が通いなれ、歩きこんだ下町であり、人なのである。
 目次は大きく四つに分けられている。
「其の一 この人を巡りて」「其の二 この町を巡りて」「其の三 この本を巡りて」「其の四 其の他」となっている。
 先ずタイトルである『神保町「二階世界」巡り』からして度肝を抜かされる。神保町古本街についての書物や案内本は多いが、『神保町「二階世界」巡り』と銘打ったものは先ずあるまい。
 では、いったい神保町古書店「二階世界」とはどんなものなのだろうか?それを著者は「異界」であり迷宮であるという。そういえば神保町の古本屋の二階へ上がることはめったにない。
 古本屋へ通いなれていても、あの狭い階段にうずたかく積まれた本の向こうは無言の抑止力が働いていて、とてもあがれない。確かに迷宮への入り口のようであり、とても素人が足を踏み入れることができない「異界」のように思える。
 著者はその異界である古書店の二階に上がれるようになったときのことを次のように言っている。
(ある程度の店構えの寿司屋やレストランに気負いなく入れるようになった時期と重なるのかもしれない。物心ともに体力がついたオトナになって初めて、私は神保町の「二階世界」への階段を上がれるようになったような気がする)
確かに格式ある寿司屋やレストランに入るのは気後れするものである。それがすっと入れるようになるのはオトナである。この例えを古書店の二階に上がることに当てはめるとは実に言い得て妙である。それほど神保町の「二階世界」というのは心ときめく「異界」への入り口だといえよう。その「異界」を案内してくれるというのだから嬉しくなる。先ず皮切りは「三茶書房」から。
(二階にあがってみるとそこは実に良心的にして豊穣なる古書の楽園であった)とある。
  (一階には特価本やタレントの写真集がおかれている店の二階に上がるとそこは芸術の香り豊かな江戸、明治の錦絵、現代の版画家作品が引き出しに分けて売られていた)というから驚いた。まさに「豊穣なる古書の楽園」にほかならない。
 タレントの写真集がある古書店の二階にそんな芸術の香り豊かな楽園があるなどと誰が想像できようか?
 この二階で著者は俳人河東碧梧桐の全冊肉筆を見つけ、木村荘八の挿絵の徳田秋声『爛』特装本を手に入れ、白秋の『雀の生活』をみつけるのだった。
 次々とページを繰るたびにさまざまな古書店の二階風景が惜しげもなく開陳され、ついには緊張とおびえが走る「玉英堂」の二階に行き着く。そこは稀覯本、肉筆原稿、美術品も多い美術館の趣を呈する。なんとすごい世界があるものだと宝の山を見つけたような気持ちになる。
 この神保町古書店街は戦争でも焼け残った稀有な町である。著者はここを「世界に冠たる”幻想都市”と呼ぶ。その「奥の院」たる「二階世界」を案内してもらって、したたか酩酊状態になった。
 しかし、これはまだ序の口。次はいよいよ「人」「町」「本」を巡る世界が待っている。

 ここで語られる「人」は東京下町育ちの著者をして、浅草町歩き、下町歩き、食世界の指南書ともいえる本を書いた人たちを紹介している。それは半村良正岡容吉田健一安藤鶴夫池波正太郎山田風太郎植草甚一草森紳一野田宇太郎らである。
 このそうそうたる作家たちの中でも著者は正岡容吉田健一池波正太郎植草甚一の作品の解説を書いているだけに多くの作品を読み込み、これを愛してやまない様子が文章からほとばしっている。とりわけ今や忘れられようとしている詩人であり気骨の編集者であり「文学散歩」を生み出した野田宇太郎の業績を愛惜する文は熱がこもっている。彼を「創作型編集者」として文藝に殉じた志を持った人として熱く語る様子は、逆に言えば著者の文藝を愛する情熱の吐露でもある。
次の「町」巡りは、勿論下町巡りである。浅草、向島人形町、湯島、神楽坂、隅田川をめぐる語り口はまるで今様(いまよう)「日より下駄」の趣がある。永井荷風久保田万太郎安藤鶴夫といった古き良き東京を愛する文士たちがこれらの町に恋慕したように著者も逍遙し、読者を案内してくれる。
 「江戸の名残の小粋な庭、向島百花園を楽しむ」章ではこの庭園のありようを「粋」であると述べる。さらに「本物の「粋」は人をほっとさせる」と著者は言う。
こうして東京下町育ちの著者は通いなれ、歩きこんだ下町を巡り、古書店の二階を読者に誘い、古き良き東京を愛する文士たちやその作品を紹介していく。その文章はまるで新内を唄うように、着流しの裾をはしょって踊りだしそうに軽やかで小粋である。しかし「本物の「粋」は人をほっとさせる」と著者は言うように、本書はどこから読んでも楽しく東京を愛する心に満ちていて酔わせる。
著者を着流し姿に新内を唄う人だとイメージしたらお見当はずれである。ボルサリーノをまぶかにかぶり、銀座の「ルパン」でハイボールを飲みながら「男の行く末」などをぼんやり考えている人をみかけたら、それはきっとこの人だ。
 洒脱な世界ここにあり!