飛翔

日々の随想です

『日記逍遥 昭和を行く』

 古今東西を問わず日記は人気がある。
 本書は昭和初期の人物を中心にその日記から思いがけない人物や、意外な真相をみつけた日記読み(著者)の「日記逍遥」である。
 本書に登場する日記は『矢部貞治日記』、『木戸幸一日記』、『有馬頼寧日記』、巣鴨プリズン時代の笹川良一が書いた『巣鴨日記』、『石射猪太郎日記』、『中原延平日記』、『古川ロッパ日記』、『内田収三日記』である。

 巣鴨プリズンに収容されていた人物たちの人間模様を書いた笹川良一の日記は本書の中でも特に面白く、雑居房で同室になったBC級戦犯容疑者たちの様子や、その後を記した日記は圧巻である。橋本忍脚本の「私は貝になりたい」がテレビドラマになり、評判になり、最近では映画化された。そのモデルとされた加藤哲太郎が本当はどんな人物だったか笹川日記で克明に記されており、後に新潟俘虜収容所に収容されていたカナダ人ケネス・カンボンが書いた『ゲスト・オブヒロヒト』の中でも指摘していた加藤中尉の残虐な人物像と一致する。映画化された「私は貝になりたい」はフィクションであるが、真実はこの笹川の日記『巣鴨日記』にあった。歴史の真実は、こうした日記が裏付けるのである。

 人間的に面白い日記は伯爵有馬頼寧が書いた『有馬頼寧日記』であろう。有馬頼寧(よりやす)は、伯爵と言う地位にありながら貴族院の特権を批判し、治安維持法にも反対、際立った活動を繰り返した人である。三男頼義は昭和二十九年に直木賞を受賞した作家である。
 『有馬頼寧日記』の特徴は女性関係の記述が多いことだ!「愛人は精神生活の糧」と言わしめるのであるから何をかいわんや。
 この日記で面白いのは女性関係ばかりではなく、三男にてこずる父親の心情である。親の因果が子に報いの言葉が当てはまるかどうかはわからないが、艶福家の父親を泣かせたのは三男の行状である。伯爵である父親の言葉に思わず笑ってしまったのはこうである。
 「今朝は六時、義ちゃんを起こすので早起きねむし」(九月十一日)
 自身も女性関係では奔放なのに、学校嫌いの息子を眠い目をこすりながら起こす父親心がなんとも温かい。学校嫌いで父親泣かせの三男は直木賞をとる。その作品の中では成蹊を放校となり早稲田に転校せざるをえなかった事情を「自分が文学をやるために、成蹊のようなブルジョワ仏教学校にいたのではどうにもならないと思い、早稲田にはいることを、本気で考えた」とあるが、父親の日記と突き合わせてみると真実はあきらかになって面白い。
 これだから日記というのはおもわぬ真実をはらんでいることがわかり面白いのである。

 次は喜劇役者古川ロッパが登場する。
 古川ロッパといえば喜劇役者エノケンと共に昭和十年代の大衆的な人気を二分した人である。
 しかし、その出自は驚くなかれ宮内省侍医・男爵加藤昭麿の六男である。親類縁者には帝大教授が多数あり、祖父は男爵で帝国大学総長。華麗なる一族の出なのである。
 古川ロッパ菊池寛に招かれて映画雑誌の編集に参加し、記者生活に入ったのがこの世界の入り口である。のちに同じく菊池寛に勧められて喜劇役者になった。
 「古川ロッパ日記」には昭和芸能史を彩る著名人がいっぱい。菊池寛谷崎潤一郎宇野浩二久保田万太郎山田五十鈴、若き三船一郎など。
 魅力ある日記の条件といえば、他の資料ではあまりみかけない人物が登場し、生の姿を伝えることだが、古川ロッパ日記では上山雅輔が出てくる。上山雅輔はロッパ一座の座付き作家である。そして、若くして命を絶った童謡詩人金子みすゞは姉なのである。
 古川ロッパ金子みすゞとその弟。思いがけない人物の登場である。
 この章では朝日の名物記者・鈴木文史朗との交流が描かれていて興味深い。戦局の激しい中、この名物記者と喜劇役者はこんな会話をしていて驚く。
 「鈴木さんの壕へ行く。鈴木氏は二階でラジオをきヽ乍ら悠々としてゐるとのことで、僕も行ってみる。二階でアメリカの最近のサンデーイヴニングポストを見たり、戦争の話をきく、何うにも悲観論である」(十一月三十日)
 空襲を受けながらアメリカの最近のサンデーイヴニングポストを読んでいたロッパと朝日の名物記者には驚く。

 こうして昭和初期から戦中の日記をとりあげ、巣鴨プリズンのBC戦犯容疑者のその後や、バロン薩摩のシャムでの活動など今まであまり知られていないことを取り上げ紹介したのが本書である。
 日記から思いがけない人物が登場したり、意外な真相を見つけ出す面白みこそが「日記読み」の醍醐味であろう。