飛翔

日々の随想です

『四百字のデッサン』

2008年に書いたものの再掲載である。
 「野見山暁治展」を愛知県美術館へ見に行った。
 パンフレットによると:
『「野見山暁治」(1920年生まれ)の作品は現象の表面を追うのでなく、内部に深く切り込んで、そこに内在する生命を引き出そうとしています』とある。
入場すると暗い色調の絵が続くなか、突如赤い塊が飛び込んで来た。「ベルギーのボタ山」。赤黒いボタ山の下には今にも燃えそうな町並みが押し寄せるように心に食い込む。
野見山氏の原点は筑豊ボタ山。実風景を解体し、対象の奥底をみる筆致。絵の横にある氏自身の解説が非常に面白く読みふけった。もしかしたら、絵より秀逸かもしれないと思えるほどの名文。
 見終わって図録を買おうとすると、横に氏のエッセイが売られていた。あんなに名文を書く人のエッセイなら読んでみたくなる。裏表紙を見るとエッセイスト・クラブ賞受賞作品とあった。

 著者が親しくしていた藤田嗣治、椎名其二、森有正、小川国男、坂本繁二郎、義弟の田中小実昌、「荒地」の詩人達などを、戦中戦後のパリ、日本にまたがり絵筆をペンに置き換えて立体化してみせてくれた名エッセイ。

中でも藤田嗣治という巨匠の光と影は胸を打つ。
戦時下の藤田嗣治アッツ島玉砕の自作の絵の横で客が賽銭箱に十銭を入れると国民服に水筒、防毒マスク姿でお辞儀をした。
そんな嗣治が敗戦になったとたんに戦争画を題名、署名、元号を丹念に塗りつぶし横文字でFUJITAと書き入れ、
「これからは世界にみせなきゃならんからね」と言ったという。
フランスに帰化した藤田は著者とモンパルナスのミュージック・ホールからの帰り道、同じ言葉を意味もなく繰り返して帰りたがらなかったという。

「この老人は家にも帰りたくないのだろう。今となっては日本にも帰りたくはないが、フランスのベッドで眠る事もできないのかも知れない。
フジタの帰化は一種のコスモポリタンとしての資格、人格をつかみとったように思っていたが、どこの土地の人間でもないただの旅人ではなかったのか。
つねにライトに当たっていなければ生きてゆけない人生がそこに在るようだった」
と陰影に富んだデッサンをしてみせる。 

この他ロマン・ロランの「大戦下の日記」に一日本人として描かれているモラリスト椎名其二の特異な人間性の章は圧巻。
アパルトマンの地下に通う森有正けんもほろろにやっつけられる様子は真にせまる。

一方、著者の妹の夫である田中小実昌氏の瓢逸ぶりは喜劇をみているようで抱腹絶倒もの。
妹の所へ転がり込んだ小実昌氏ことコミちゃんの存在を怒った父親が会いたいから連れてこいと言う。
泊めてやっただけなのだから「出ていって」と怒る妹。
するとコミちゃんは「風呂敷に下着類を包むと襖を背にしてぴたりと座り、長いことお世話になりました」と言って出ていった。
悪いことしたと著者が思っていると
「襖がすっと開いて出ていったばかりのコミちゃんが現れ、風呂敷包みを下に置いて妹のほうを向いてゆっくり頭を下げた。あの、今晩一晩だけ泊めてちょうだい」
この一晩だけが生涯続いたそうだから恐れ入る。

 このほか遠山慶子著「光と風のなかで」に出てくるジャン・コルトー氏親子とフランス航路の中で会い、ナチスに引き出されて演奏したコルトー氏のしたことに対する戦後のフランス人の仕打ちについても触れていて感慨深かかった。

 若き日の画家や詩人、文学者、パリでの友人達、芸術家達の実像をあたかもモデルの肉付きやポーズに従ってデッサンするように描き出していて実に面白く読みごたえがあった。エッセイスト・クラブ賞受賞の名著。