飛翔

日々の随想です

『パンとペン』を読んで

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い

日露戦争が始まる前、社会主義者堺利彦が親友の幸徳秋水と共に「平民社」を創設し、反戦運動を唱えたことは教科書で習い、知っている人は多い。
 しかし、「平民社」は知っているが「売文社」という名前とその存在を知っている人はどれぐらいいるだろうか。
 「売文社」は堺利彦によって作られたものである。「売文社」は大正期の社会主義運動の「冬の時代」と呼ばれる官憲の弾圧を耐え忍ぶ拠点であった。生計を立てるための組織であり、同士たちの交流の場であり、若者たちの教育の場であった。
 「平民社」が二年あまりで解散になったのに対して「売文社」はあの厳しい弾圧の時代に八年三ヶ月も継続したとは驚きである。
 では「売文社」とは何か?その活動の様子、具体的な実像、内部ではどんなドラマがあったのか、そして堺利彦とはどんな人物であったのか。それを掘り起こしたのが黒岩比佐子である。黒岩はおびただしい資料や古書を買い集め、取材し、それらを平易明快な文章にし解き明かしたのである。
 つまり、これまで歴史の裏側に埋もれて見えにくかった事実、忘れられた人や誤解された人を掘り起こし、「売文社」の全体像と堺利彦という魅力的な人物に迫ったのが本書なのである。
   
 本書を見た人は十中八九その表紙に目を奪われ思わず手に取ってしまうだろう。セピア色の写真。三人の人物の顔に釘付けにされてしまうのだ。黒紋付の羽織の男。暗い目をした意志の強そうな女性。真ん中に七五三の晴れ着を着た幼いながらも鋭いまなざしの女の子。
 これは堺利彦が出獄後、「売文社」の看板をあげた家の前で、妻為子と、娘の真柄の七五三を祝った記念写真だ。
 次に目を引くのが表題となっている『パンとペン』の文字である。
 この「パンとペン」こそは「売文社」が旗印として掲げるものなのである。商標は「食パンに万年筆を突きさした画」。一回見たら忘れられないユーモラスな商標だ。
 堺は「僕らはペンを以ってパンを求めることを明言する」と謳った。
 つまり人間は食べなければ生きられない。その食べるための手段として文章を書くこと、パンを得るためにペンを使うことを堺利彦は「売文」と表現し宣言したのであった。
 売文社の社員には、大杉栄社会主義者荒畑寒村、山川均、高畠素之、尾崎士郎がいる。
 堺の親友だった幸徳秋水は大逆罪で絞首刑になった。大逆事件で死刑になった十二人は捏造された(フレーム・アップ)証言や証拠で死刑に処せられたのであった。しかし、堺や大杉、寒村、山川らは「赤旗事件」で投獄中だった為、難を逃れた。
 処刑された多くの仲間たちのむくろは堺がひきとり火葬した。地方にいて名前を変え、息をひそめていた家族を探し出し遺品と遺骨を届け、慰め励ましたのは堺であった。激しい思想弾圧と尾行にも屈せず遺族を探し慰めた堺という人物には胸が熱くなる。
 堺は「ペンとパン」を商標に「編集プロダクション」「翻訳エージェンシー」の元祖ともいうべき「売文社」を立ち上げた。それはあたかも大石内蔵助が世をあざむいたように「猫をかぶって」機の到来をうかがう八年三ヶ月であった。
 
 ここで黒岩が注目し掘り起こしたのは「売文社」における仕事である。堺は歴史書ではとりあげられたが、文学の世界ではまったくとりあげられなかったのである。そこに黒岩は注目したのであった。
 つまり今まで誰も書かなかった明治から大正ジャーナリズムにおける堺利彦とその業績が本書ではじめて明かされるのである。
 私たちが映画やミュージカルでおなじみの「マイイフェアレディ」の原作は「ピグマリオン」。バーナード・ショーの作品である。バーナード・ショーの作品の翻訳を手がけた先駆者が堺であったとは特筆すべきことである。そのほか、チャールズ・デイケンズ、アレクサンドラ・デュマ、エミール・ゾラ、ウイリアム・モリス、ジャック・ロンド、モーリス・ルブランの「ルパン」を翻訳。マーク・トウェインの作品のうち短編二つを堺が訳していることはほとんど知られていない。
 十八歳から作家デビューして以来、尾崎紅葉夏目漱石、有島武朗、に至るまで多くの作家との交友があったことも驚きである。
 ①「言文一致体の普及」に貢献。②平塚雷鳥より六年も前に婦人論を述べ、日本の婦人解放運動の先駆者だったこと。③日本一のユーモリストであったこと。
 など、黒岩は次々と掘り起こし、解き明かし、読者の目からうろこを落とさせた。

 堺利彦はその生涯で多くの友人や支援者に支えられた。それは「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」という生涯の信条からもうかがえる。
 また「堺は如何に困窮した場合でも我を忘れてよく後進の面倒を見、道を開いてやることを忘れなかった」という友人の言葉が「売文社」での事業と堺自身の人柄を表わしている言葉である。

 幸徳秋水はいつもそばに堺がいたからこそ、カリスマとして存在した。
 これは堺が好んで口にした言葉「棄石埋草」(すていしうめくさ)にも通じるのではなかろうか。堺利彦の実蹟が今日こうして黒岩の手によって明かされることがなければ、讃えられることもなく、人々の記憶から消えてしまう、まさに「棄石埋草(すていしうめくさ)となったであろう。

  最後に手に入りずらい古書や資料を探しだし、終日足を棒にした黒岩に「古書の神様」がご褒美をくださった事件があった。それは東京古書会館での古書即売会で起きた。「麺麭(ぱん)の略取」の偽装本の発見である。発禁本の「麺麭の略取」に誰かが『武士道』の表紙をつけて偽装したものだ。いわくありげなこの珍本を掘り出した黒岩には「古書の神様」がついているに違いない。心の中で歓声をあげたであろう黒岩の顔が目に見えるようで思わず頬がゆるむ。

 ※黒岩さんがこの作品を三年余りの年月をかけて書いた渾身を思った。「あとがき」で全体の五分の4まで書き進んだところで、がんを宣告されたことを吐露されている。病魔との闘いに調べたくとも行けなかった多くの場所にどれだけ歯噛みをしたことだろうと思うと胸がつまる。
 しかし、作品は「全力を出し切ったという清々しい気持ちでいっぱいだ」と黒岩さんに言わしめるだけの充実ぶりであることは言うまでもない。

 これまで歴史の裏側に埋もれて見えにくかった事実、忘れられた人や誤解された人を掘り起こし、「売文社」の全体像と堺利彦という魅力的な人物に迫った本書。黒岩さんの渾身の作として読者の心に長く残ることを確信する。多くの人と、この読後の充実感を分かち合いたいものである。
 黒岩さんの体調の快復を心より祈り次回の作品を心待ちする次第だ。