飛翔

日々の随想です

追悼 阿川弘之氏を悼んで

太平洋戦争を舞台に人々の苦悩や悲哀を描いた作家で、文化勲章受章者の阿川弘之さんが2015年東京都内の病院で亡くなりました。94歳でした。

阿川さんは大正9年に広島市で生まれ、東京帝国大学文学部を卒業したあと、予備学生として海軍に入り中国戦線に赴きました。
戦後は作家の志賀直哉に師事し、昭和27年に海軍の予備学生を主人公にした小説「春の城」を発表して読売文学賞を受賞しました。 続いて昭和28年には広島の原爆を取り上げた「魔の遺産」を、また、昭和31年には死を目前にした若い特攻隊員の姿を描いた「雲の墓標」を相次いで発表しました。昭和41年に発表した「山本五十六」では新潮社文学賞を受賞しています。
阿川さんはみずからの海軍での体験や豊富な資料を基に、激動の昭和を生きた人々の苦悩や悲哀を浮き彫りにする作品を書き続けました。戦艦「長門」が戦後、アメリカの核実験で太平洋に沈められるまでの姿を克明に描いた「軍艦長門の生涯」など、綿密な取材に基づく格調高い文体の作品が評価され、平成11年には文化勲章を受章しています。
阿川さんは平成17年から戦艦大和の巨大な模型を展示する広島県呉市の海事歴史科学館「大和ミュージアム」の名誉館長に就任していました。
エッセイストの阿川佐和子さんは長女です。

阿川さんを偲んで生前の珠玉のエッセイを紹介して追悼したいと思います。
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母のキャラメル―’01年版ベスト・エッセイ集 (ベスト・エッセイ集 (’01年版))
リエーター情報なし
文藝春秋
裏表紙の案内書きには『「60歳で老いをグチるな」と91歳が一喝。作家をキレさせた唖然とする若者の応対。著名作家の意外な素顔など。その他医師、主婦ら、プロ、アマ問わず選び抜かれた珠玉のエッセイ58篇を収録。』とある。

 さて、日本人のユーモアのセンスは欧米のそれと比較して劣るのではないかと言われる。さて本当にそうだろうか?
 本エッセイ集の中で作家の阿川弘之氏がそれの答えとなるべく事件を紹介している。
 題して「女王陛下にキスされた話」

阿川氏が未知の読者より一通の手紙と骨董品を進呈された。
それは日本海軍 軍艦「鹿島」の備品であった水差しであった。

軍艦「鹿島」は三代の歴史を持つ。
初代「鹿島」は㍽十年、裕仁皇太子初の御外遊の際、供奉鑑をつとめ、二代目「鹿島」はトラック環礁内に錨をおろし、戦後解体された。
3代目「かしま」は海上自衛隊練習艦である。
さて、読者から進呈された水差しを3代目「かしま」に寄贈することにした阿川氏はこの「かしま」にまつわる事件を入手。
そこで「かしま」に直接電話取材。
広報室の資料提供をお願いして得た情報がこのエッセイの骨子。

事件は2000年7月5日早朝。マンハッタン西岸ハドソン河沿いのピアに繋留中の「かしま」の横へ、七万トンの「クイーンエリザベス2世号」が入港。
その朝ハドソン河には2ノット半の急流があり、流れに押された巨大客船はあれよあれよという間に右舷前部を「かしま」の艦首部分へこすりつけた。鉄パイプが折れ、塗装が剥げたが、怪我人は双方出さずに済んだ。接岸後「QE2」の機関長と一等航海士が船長のメッセージを持って「かしま」に謝りに来た。応対に出たのは練習艦隊司令海将補と「かしま」艦長上田勝恵一等海佐の二人。
「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。エリザベス女王陛下にキスされて、光栄です」

と相手の侘び事に上田艦長が答えた。

これが大評判。ロンドン「タイムズ」「イブニング・スタンダード」が記事にし、現地ニューヨークにおいては日本のネイバル・オフィサーのユーモアのセンスを高く評価。
折しも4日は20世紀最後のアメリカ独立記念日で洋上式典に参加の世界各国の帆船、海軍艦艇70隻がニューヨーク港に入港。何千人もの船乗りに噂が広まった由。
「良き時代の帝国海軍の「ユーモアを解せざる者は海軍士官の資格なし」の心構えが戦後生まれの海上自衛隊のオフィサーにも受け継がれたようだ」とは阿川氏。

とっさのことゆえ尚更持ち前のユーモアのセンスが光るというもの。
 しかも接触事故を「エリザベス女王陛下にキスされて、」とは何たる機知だろうか。
 阿川氏が初代「鹿島」の備品を進呈された親近感から、かくも素敵な事件を調べエッセイをものしたとは実に快挙。
 小事故から生じたユーモアによる国威発揚。日本人のユーモアのセンスとはかくの如く上質なのですよね阿川さん。

 ※ 94歳で3日に亡くなった作家の阿川弘之さんについて、長女で作家・エッセイストの阿川佐和子さんが7日、コメントを発表した。死の前日にローストビーフを平らげ、最後まで食欲をなくさなかった父を「立派な大往生だと思っております」と悼んだ。
 
 ご冥福をお祈りいたします。